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学問として絵をみるか、自分で(感覚で)絵をみるかは見方が違う。
その違いを知っていれば、偉そうな評論家を恐れずに感想を述べることができる。 ダビンチの「モナリザ」でも、嫌いなら嫌いでいい。 学術的な重要さと感覚とは違う視点だからだ。 好きだ嫌いだといっているうちに、不思議と「嫌いだが認めざるおえない」という感覚にも出会うことがでてくる。 それは、絵を描く人間からいえば「構図」「色」などから論理的に説明できることを直感的に理解しているときだ。 直感的な感覚を磨いたひとは、モノをつくる人間からすると貴重な(そしておそろしい)観客であり、評論家だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月11日 09時09分12秒
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