|
カテゴリ:カテゴリ未分類
子供や20代のころ(あれ、暗に20代以上とばらしている)、
嫌な気分をそのままみとめるのはカッコウ悪い気がしていた。 でも、嫌な気分は思いつきを与える源にできることに気づくと、ずいぶん気が楽になった。そうしたらカッコウつけずに、自然体でいられる時間が増えた。 最近でいえば、制作を中断して料理を一時間していたとき、たまたま料理をすることにいささかうんざりしていた。 そこで、魚をフライパンで焼こうとしていたが後日にまわそうときめた。(というふうに、うちの料理はファジーになっている) 時間かかって嫌だから魚は明日だと思ったそのとき、その魚をオーブンで焼けばよかったと思いついた。(一時間コンロがふさがっていたのに、コンロを使うことだけ考えていた) ちょっと気がつけば簡単な話なのだが、うちではその魚はフライパンで焼くものだった。 ものすごーく嫌でうんざりだと思ったそのとき、「そうかオーブンだ」と気がついた。 そして「嫌な気分は思いつきのもとになる」とあらためて思った。 そうすると、嫌な気分の自分も貴重に思えてくるから不思議である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|