ヒトとしてたいへんな時代
コマーシャルやふとした電話で「あれ、何をやっていたんだっけ?」と自分の活動が中断される。 自分の思考の流れもいっしょに中断する。そういったことを自覚して生きる時代だ。 古典や、何十年か前に書かれた本を読むと、今生きている時代を違う時間軸でながめることができる。 これはおもしろい。 「今日のメディアの非マス化は、目を見張るほど多様な役割モデルやライフ・スタイルを尺度として提供するようになった。 そのうえ新しいメディアは、完成したイメージをわれわれに寄越さず、イメージの断片や瞬間を示すだけである。 何種類かの一貫したモデルアイデンティティ(存在基)のなかから一つを選ぶのではなく、自分で断片をつなぎ合わせて「私」のモジュールをつくることが要求される。 この方が昔よりはるかに困難であり、現在、無数の人間が必死になってアイデンティティ(存在基)を模索しているのは、そのためである。」 と、未来学者のトフラーは1980年にすでに書いていた。 引用:「第三の波」アルビン・トフラー著 徳岡孝夫監訳 中公文庫)