|
カテゴリ:時事
沢木耕太郎「杯」(新潮文庫)を読み始めている。
4年前(もうそんなになるのか)のW杯日韓大会(コリアジャパンとかいうな)を両国から眺めたルポだが、読んでいて居心地悪い。朝日の連載のせいか、著者の文体がいまいちピンとこないせいかわからないが。 行間に溢れる浮かれた空気がいまとなっては憂鬱である。いまを照らすのである。この細く荒れ果てた道程を。 日韓友好が幻想だったとか、日本代表がたいしてあれから進歩していないとか。おもしろくない現状(といっていいだろう)がある。現在につながるコトを考えた場合、この大会がしょせん「マツリ」だった、といいかげん認めなくてはいけないのだろう。あの空気をひきづったままドイツ大会直前になってしまった。個人的には、というより全体にだ。 戦勝に浮かれて出鱈目に戦線拡大する旧軍といっしょである。 フランス大会のルポは初出場の教訓として素直に読める。日韓大会についてはこの過渡期、どう読むか?と考えた場合に思考停止になってしまう。条件が違いすぎるのだ。 トリノ五輪報道と似ているのではないか。実際はある程度の戦力分析ができるのにスポンサーの絡みやら盛り上げの義務やらで大騒ぎした結果、選手にしわ寄せがくる。そのとたんバッシングがはじまるのだ。 たとえば逆上がりがやっとのヤツに月面宙返りを要求するのは酷だ。逆上がりをやってはじめてほめてやるものだろう。代表報道をみているとどうもそのへんの冷静な分析がないまま騒いでいるようにしかみえないのだが。われわれは要求するべきは逆上がりなのか。月面宙返りなのか。 そりゃあ勝ってほしいけどさ、このもやもや感って、どうにかしてくれ。ぶっちゃけ(汚ねえ日本語だわ)、日本って強いの?(♂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月10日 13時52分25秒
[時事] カテゴリの最新記事
|