「教育の功罪」(発展と破壊はセットになっている)
明後日(3日)から二週間ほどネパールに行きます。ですから、この間、ブログの方は不定期になります。可能な状況なら、写真と簡単な報告を上げようとは思いますが、現地の状況が分からないのでお約束できません。今回の旅行は、これまで支援してきた学校や村々を回る旅です。このように、貧しい人たち、貧しい村を支援するような善意の活動は世界中にあります。そしてそのことは「人間として正しい行為」だと思われています。教育を与えることで、食べるものもない、病院にもかかれない、教育も受けられない、幼いときから労働にかり出されるといった悲惨な生活から抜け出せるようになるのですから。教育を受ける子どもが増えることで、人々や村も豊かになります。それはそれで嬉しいことです。問題は、そのことでそれまで「競争」とは無縁だった人たちが「競争」に参加するようになってしまうということです。「教育を受けた若者」と「教育を受けていない大人達、老人達」との間に、感覚的、文化的、思考的、意識的な断絶が生まれてしまいます。そして、何百年と受け継がれてきたであろう、文化や、伝統や、精神性や、感覚や、考え方があっという間に消えます。それに代わって、世界共通の文化や、考え方や、価値観や、精神性が共有されるようになります。そして若者達は、「文化や伝統を守るため」ではなく「お金を得るため」に競争するようになります。助け合うつながりが消え、村が消えます。その流れが世界中に広まれば、やがて世界中から文化的、精神的、感覚的、思考的個性が消え、「豊かさを求める競争」だけが残り、貧富の差はますます拡大して行きます。そして実際、それはかなり進んでいます。私がバックパッカーとして世界を回ったのは45年前ですが、その頃と比べても国の個性、町の個性、民族の個性はかなり消えてきてしまっています。日本の中でも、日本中どこに行っても同じような家が建ち、同じようなコンビニを見かけるようになりました。援助をする善意の人たちはそのようなことまでは考えないでしょうが、これは実際に世界中で起きてきたことです。ネイティブアメリカンの人たちもこれで苦しみました。インドの最北部にあるラダックという町で起きた出来事は、「懐かしい未来」という映画にもなりました。ラダックとは以下のような所です。私は2018年に行きました。ラダックはヒマラヤ山脈に囲まれた標高3,500m〜5,600m超の高地で、中心都市レーの標高は約3,500m、ヌブラ渓谷へ通じるカルドゥン・ラ峠(Khardung La)は5,000m級(5,600m超という説も)に達し、湖や渓谷ではさらに高い4,000m〜5,000m超の場所も多く、非常に高地です。(AI による概要)このような外部から隔絶された社会でした。ですから人々は、貧しいながらも助け合って生きてきました。でも、その貧しさを救うために、新しい知識や、技術や、教育や、支援が外部世界から持ち込まれることで、人々の意識が変革され、競争と富の偏りが生まれました。そして、経済的に豊かにはなったのですが、精神的には不安定になりました。「だから支援や介入をやめろ」という意見もあるかも知れません。でも、困っている人、苦しんでいる人がいたら助けたくなるのも人情です。その気持ちが消えたら、人間は「人間らしさ」を失ってしまいます。非常に難しい問題です。支援する人は「支援は諸刃の剣だ」ということを知って、自己満足に陥らないようにすることが大切なのではないかと思います。