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憂鬱質の特徴の一つに「不安が強い」ということがあります。
だからといって、「不安が強いから憂鬱質だ」ということではありません。 気質とは無関係の「不安」もあるからです。 私は「不安」には二種類あるのではないかと思っています。 一つは「未来のことを色々と考えることで発生する不安」です。 例えば、 旅行に行く予定なのに天気が不安 蓄えが少ないので老後の生活に不安 試合に勝てるかどうか分からない不安 あおり運転で車をぶつけられてしまうのではないかという不安 勉強しないと落ちこぼれてしまうのではないかという不安 ちゃんと手を洗わないと病気になってしまうのではないかという不安 のようなものです。 そして、憂鬱質の人はこのようなタイプの不安に囚われやすいです。 なぜなら、憂鬱質の人は思いがけないことが起きると、心も、からだも、頭も固まってしまって身動きが取れなくなってしまうので、あらかじめ頭の中で色々な状況を設定してシミュレーションしておくことで、「いざというときの不安」を減らそうとするからです。 ただ問題は、未来のことをシミュレーションしておくことである程度の安心は得ることが出来るのですが、同時に、「未来に対する不確定要素によって、新しい不安も増えてしまうことが多い」ということです。 「安心」を得るために色々と考えるのですが、色々と考えることで新しい「不安」が生まれてしまうのです。 だからさらに色々考えるのですが、考えれば考えるほど不安も増えてしまうのです。 そのループにはまってしまうと不安だらけになってしまいます。 そして憂鬱質の人はこのループにはまりやすいのです。 これが「憂鬱質の人の不安」です。 もう一つのタイプの「不安」は「経験によって学習した不安」です。 つまり、「未来」ではなく「過去」に原因がある不安です。 砂浜を裸足で歩いていてガラスを踏んでしまってケガをした人は、砂浜を裸足で歩くことに不安を感じるかも知れません。 子どもの頃に父親に虐待された育った人は、男性の声や、男性が近くに寄ってくるだけで不安を感じるかも知れません。 電車に乗っていて事故に遭った人は、電車に乗るたびに不安を感じるかも知れません。 牡蠣を食べて食中毒を起こした人は、牡蠣を食べることに不安を感じるようになるかも知れません。 夜道を歩いていて怖い体験をした人は、夜道を歩くことに強い不安を感じるようになるかも知れません。 幼児期に虐待されて育った人は、「自分らしさ」を否定されながら育っているので、自分の気持ちを表現したり、自分らしく行動すること自体に不安を感じるようになってしまうこともあります。 子どもの頃、学校で集団的なイジメに遭った人は、人がいっぱいいるだけで不安を感じるようになってしまうかも知れません。 これらは、「体験によって学習した不安」です。 そして、このような「不安」は、「気質」に無関係に誰でもが持つようになる可能性があります。 で、本来は「憂鬱質」ではないのに、こういう不安が強いために「憂鬱質のような状態」になってしまっている人がいっぱいいます。 とくに、虐待やイジメのような「生活全般を否定されるような体験で不安を学習してしまった人」は、色々なことに不安を感じるようになってしまう可能性があります。 でもそのような人は本来の憂鬱質ではないので、憂鬱質に特徴的な「心に対する感受性」や、「美に対する感受性」や、「光や音に対する感受性」は持っていません。 また、「憂鬱質的な不安」は「正しい知識」と「正しい考え方」を身につければ消すことが出来ますが(知識だけでは余計に不安が増えます)、「体験によって身につけた不安」は、ちゃんとした体験がその不安の背景にあるので、なかなか抜け出すことが出来ません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.08.23 10:21:36
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