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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2019.11.20
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カテゴリ:カテゴリ未分類
この世にある全ての存在の意味と価値は「つながり」によって発生します。

あなたの頭の中に浮かんだアイデアも、新しい思考や、何らかの行動につながれば意味と価値を持ちますが、鏡に映った映像のようにそのまま消えてしまえば、何の意味も価値も持っていません。

そして、現実世界に存在するものは全て他者とつながっています。

足下に落ちている小石でさえ、その地域の歴史や、地球の歴史や、宇宙の歴史とつながっています。

実際、火星や彗星の小石を拾うことだけをミッションにした実験が行われているのですから。

ドングリは森の歴史、森の生態系、人間の歴史、そして、川や海の状態ともつながっています。

ドングリが森を豊かにすれば、その森を通って川に流れ込む水によって川が豊かになります。そしてその川が海に流れ込むことで海が豊かになります。

あなたのお子さんもあなた自身も、宇宙の歴史、地球の歴史、命の歴史、人類の歴史、人類の未来、宇宙の未来とつながっています。

みなさんの血の色の元になっている「鉄」は、元々をたどれば太陽よりも大きな星が爆発した時に創られたものです。

以下は「宇宙図」というサイトからの引用です。
https://www.nao.ac.jp/study/uchuzu/humn02.html
太陽系の材料となった"かけら"たち。それを作り出し、宇宙にばらまいた原因のひとつは、「超新星爆発」でした。太陽の10億倍以上も明るく輝く爆発は、星の中の元素を一気に別の元素へと変えてしまいます。2種類ある超新星爆発のうち、太陽よりずっと重い星が起こす爆発では、星の中で作られた酸素などの元素が飛び散ると同時に、金や銀のような元素が生み出されます。一方、白色矮星を含む連星が起こす爆発は、私たちの身体に欠かせない鉄を作り出します。

分かりますか。私たちの体も地球も星の爆発で出来た物質で出来ているのです。

私たちは「宇宙の物語」の一部として存在しているのです。

「学ぶ」ということは、そういう「つながり」を紐解く(ひもとく)ことでもあるのです。

「天正10年6月2日(1582年6月21日)に本能寺の変が起きた」ということだけを暗記しても学んだことにはならないのです。

「どうして本能寺の変が起きたのか」、「その本能寺の変がその後の歴史にどのような影響を与えたのか」という「つながり」を学ぶのが、本当の意味での「学び」なんです。そのような学びが子どもの心とからだと知性を育てるのです。

でも日本の教育では、子どもたちにそのようなことを伝えようとはせず、数年後には変えられてしまうかも知れない年代や個別の事件の概要だけを覚えさせられています。

これは「泥団子作り」でも同じなんですが、自身の体験を通して「どういう土を使って、どういう手順で、どういう力加減で、どういう所に注意しながら作ると、素敵な泥団子を作ることが出来るのか」ということを知るだけで立派な学びなんです。

でも多くの大人はそれを「学び」とは認めていません。「試験の結果が良くなるようなこと」を学ぶことだけが「学び」だと考えています。

その「試験の結果が良くなるようなこと」は、現実の世界から抽出されたものではありますが、でも、現実の世界から切り離されたものでもあります。

他の知識とのつながりもありません。

算数(数学)は社会とも、絵画とも、音楽とも、体育とも、理科とも、宇宙とも、私たちの生活ともつながっているのですが、算数の授業ではそういうものと切り離した状態で「算数」だけを子どもたちに教えています。

だから子どもたちは「算数の意味も価値」も分からないのです。

つながりを紐解くような学びをしていないから、自分の頭で考える能力も育たないのです。

「自分の頭で考える能力」を育てるようなことは、子どもをイスに座らせ、言葉や図解だけで教えることが出来るようなことではないのです。

子どもたちが自分の頭で考え始めるためには、「つながり」に気付く必要があります。
そして「つながり」に気付くためには体験が必要なんです。

「ここの土で作った泥団子はしっかりとしているけど、あそこの土で作った泥団子はボロボロ崩れてしまう」という体験があって、始めて「どうしてなんだろう」と考え始めるのです。

そもそも、「1+1=2」などという現実は存在していません。

確かに、ミカン一個が載ったお皿の上に、もう一つミカンを載せたら二個になります。そして学校では「1+1=2」をそのような例で説明しています。
でも、一つ一つに個性がある「ミカン1個」と、抽象的な存在としての「1」は同じではないのです。

だから、数に関してそういう学び方しかしていない子は、分数や小数点やマイナスが出てくると突然訳が分かんなくなってしまうのです。

ミカン半分は0.5と同じではないのです。





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Last updated  2019.11.20 15:58:48
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