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今日はちょっとテーマを変えます。
明日からまた気質について書きます。 ************ たった一人の「念のため」という思いつきによって、何の民主義的な手続きも経ず、何の基準も示されずに、日本全国一斉に、休校になってしまいました。 「日本はそういうことができる国なんだ」と、改めて驚きと不安を感じたのですが、でも、休校は不安を煽れば「思いつき」でも出来てしまいますが、再開は「思いつき」では出来ません。 「念のため」という論理には不安を解除するための基準が存在していないからです。 また、そのため、「念のため」論理にはまってしまうと、次から次へと「念のため」が発生して身動きが取れなくなってしまいます。 もともと基準がないのですから際限もないのです。 トイレットペーパーやマスクの騒動も「念のため論理」の結果です。 このループから抜け出すためには、「脳内で勝手に生まれてくる不安」と向き合わなければなりません。 あるスーパーでは山のように積み上げたトイレットペーパーを見せてお客を安心させましたが、コロナウィルスの場合は、そんなパフォーマンスは出来ません。 消えたことを目で見せることが出来ないからです。 そのため「念のため」という不安はいつまでも継続するでしょう。 この「念のため論理」の怖いところは、目先の事だけに意識が向かうことで、全体や将来のことを忘れさせてしまうことです。 一人で外を歩いたら事故や事件に巻き込まれてしまう可能性があるので、念のため、子どもを家から出さないようにする。 ドングリや葉っぱや木の枝には病原菌が着いているかも知れないので、念のため、子どもには触らせないようにする。 手にも病原菌が付いているかも知れないので、念のため、毎回念入りに洗わせる。 テーブルや床にも病原菌が付いているかも知れないので、念のため、除菌剤で拭いておく。 子どもが学校に行きたくないと言っても、学校に行かないと社会から落ちこぼれてしまう可能性があるので、念のため、無理をしてでも子どもを学校に追い出す。 ちょっとからだの具合が悪い時にも念のため薬を飲んでおきます。 ちょっとでも危険を感じるような遊具は、念のため撤去します。 事故が起こりそうな活動は念のためやらせないようにします。 ケンカが起きそうな状況になると、念のため、子どもと子どもを離そうとします。 今日本人は、この「念のため教」にはまってしまっています。「念のため」に従わないと、祟りを恐れて強い不安を感じてしまうのです。 でも、この「念のため教」には目先の事にしか御利益がありません。 「念のため子どもを外に出さない」ということをすれば確かに子どもは事故や事件に巻き込まれることはないでしょう。お母さんも安心していられるでしょう。 でも、子どもが「外の世界と出会う事で学ぶべきこと」を学ぶことが出来なくなり、大人になっても社会に出て行くことに対して不安を感じるようになってしまうかも知れません。でも、その時になってから後悔しても、もうどうしようも出来ません。 ケガをする不安を感じて、念のため「安全安心な活動」しかさせていなければ、子どもは「自分で自分の心とからだを守る能力」を育てることが出来なくなってしまうでしょう。 新型コロナウィルスに対する不安から、念のため子どもを家の中に閉じ込めておけば、子どもは新型コロナウィルスに感染する可能性は低くなるでしょう。 でも、そのためゲーム漬けや、運動不足になってしまうかも知れません。また、食欲や喜びの体験が失われることで免疫力も低下するでしょう。 お母さんが小言を言う時間が増え、お母さんとの関係が悪くなるかも知れません。 コロナ騒動はやがて去ります。これは確実です。 でも、コロナは去っても「念のため」やったことの結果は消えません。 世の中には取り返しの付くことと、取り返しの付かないことがあるのです。 それをちゃんと見極めて、「念のため教」に支配されないようにして下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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