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動物たちは、獲物を追いかけたり、捕食者から逃げることで命をつないでいます。
トラやライオンやクマなど、圧倒的に強い動物達は、他の動物を追いかけて捕食することで命をつないでいます。もちろんそこでは戦いが起きます。 でも、ウサギや、ネズミや、リスのように弱い動物たちは、その追いかけてくる動物たちから逃げることで命をつないでいます。 そのような弱い動物たちは植物や木の実やミミズのような「逃げることが出来ない生き物」を食べています。 そして、ものすごく強くもなく、ものすごく弱くもない中間状態の動物たちは、自分より弱い相手は追いかけて、自分よりも強い相手からは逃げることで命をつないでいます。 ですから、動物たちの世界では「追いかけたり戦ったりする能力」と「効率よく逃げる能力」の間に上下も優劣もないのです。 自然界の論理では逃げるのは恥ずかしいことではないのです。弱いものが逃げるのは、立派な生存戦略なんです。 でも人間の世界では、「逃げるのは卑怯だ」「逃げるな、戦え」などと言っています。「強さ」は褒められ、「弱さ」非難されています。 でも、「逃げるのは卑怯だ」「逃げるな、戦え」などと言うのは強者や支配者の論理に過ぎません。そうやって弱いものを逃げられない状態にして操ろうとしているのです。特に、支配者が強い権力を持っている社会でそのような価値観が強く肯定されます。兵隊に逃げられたら支配者が領土を広げるための戦争も出来ませんから。 ただし、「自分」からは絶対に逃げられませんからちゃんと向き合う必要があります。でも、「他人」からは逃げてもいいのです。 父親が強い権力を持っている文化権でも弱さは否定されます。でも、女性の方が力を持っている社会では弱さは否定されません。 (参考:ライフジャーナル「母系社会が平和への鍵になる」 https://naturalharmony.co.jp/journal11/) 文明は強さの肯定によって作られます。文化は弱さの肯定によって作られます。 そして、胆汁質の人は強さにあこがれる傾向があります。そして実際、強い感情と肉体を持っています。頑張るのも努力するのも大好きです。逃げることを嫌います。戦いに勝つことで自分を守ろうとします。 でも、憂鬱質の人は胆汁質の人のその強さを怖がります。強い感情や肉体も持っていません。すぐ逃げたがります。逃げることで自分を守ろうとするのです。 それはそれでいいのですが、問題は、そんな自分を肯定出来ずに、自分で自分を否定し始める人が多いことです。強い人達によってそのような価値観を刷り込まれてしまっているからなのでしょう。 弱いことも、逃げることもそれ自体は悪ことではないのです。問題になるのは、自分がやっていることや、自分の選択を肯定出来ないことの方なんです。 「逃げる」ではなく「身を守るための行動」と言い換えた方がいいかも知れません。そう言い換えれば悪いことではなくなりますよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.07.02 08:01:24
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