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私は若い頃絵(油絵)を描いていました。
デッサンも色々やりました。 模写もやりました。 実は、個展も3回ほどやりました。 今は、もう描いていませんけどね。 今日、扱いたいのはこの中の「模写」です。 ご存じの通り、「模写」とは「真似をすること」です。 この「真似をする」というのは、絵の分野だけでなく、様々な学びの場で行われていることです。 華道でも、茶道でも、武道でも、歌でも、踊りでも、職人の仕事でも、初心者はまず真似から入ります。 子どもが言葉を学ぶのも、文章を書くのも同じです。 そもそも、「学ぶ」の語源は「真似る」なんですから。 現代人は個性や自分らしさばかりを大切にして、他の人の真似をすることを嫌いますが、実は、個性や自分らしさを大切にしているだけでは、自分の可能性を広げることが出来ないのです。 幼い子どもはまだ色々なことを知りません。色々なことが出来ません。でも、「ぼくは、ぼくのままでいいや」と、なんでも自分流で処理していたら成長は望めないのです。 「成長する」ということは、「新しい自分に目覚める」ということです。そして、「新しい自分」は「今の自分」にはないものです。だから「可能性」なんですから。 そのまだ目覚めていない可能性を目覚めさせるためには、目覚めている人の真似をするのが一番効率がいいのです。 幼い子どもは大人の真似をすることで3才ぐらいまでには一通りの会話が出来るようになります。でも、まだ言葉というものを持っていなかった遙か古代の人が、3才児レベルの言葉を習得するまでには何十万年という時間を要したのです。 真似をしなければ、人一人の一生をかけても、3才児レベルの言葉ですら学べないのです。 人は皆、自分では気付かない「癖」を持っています。その癖が長所の場合もありますが、成長を阻害する短所の場合もあります。そして、一般的には、後者の可能性の方が圧倒的に高いのです。 真似をしていると、その自分では気付かない癖に気付き、修正することが出来るのです。 その癖の中には「考え方の癖」や、「感じ方の癖」や、「からだの使い方の癖」や、「感情との向き合い方の癖」などもあります。人は自分の癖に従って考え、感じ、行動しているのです。 だから、いつも同じことを感じ、いつも同じことを考え、いつも同じ行動をしてしまい、そのループから抜け出せないのです。 ズーッと悩み、苦しみ、考えても、その状態から抜け出せないのは、「考え方の癖」や、「感じ方の癖」や、「からだの使い方の癖」や、「感情との向き合い方の癖」のせいなのです。 その「癖のループ」から抜け出す一番簡単な方法が「真似をする」という方法なんです。 「真似をする」ということは、「自分のことを忘れる」ということです。そして、他の人の考え方、感じ方、行動の仕方に従ってみようとするのです。 でもそのことで、自分の癖に気付き、自分の癖を修正し、さらに成長する事が出来るのです。 でも、現代人は「自分」にばかりしがみついています。「自分」を手放せなせん。でもだから、自分の可能性を目覚めさせることが出来ないのです。 絵や工作でも、ただ自由に描かせ、自由に作らせるだけでは、成長しないのです。 もちろん、自由に描き、自由に作ることも大切です。それと同時に、真似をするという体験も必要なんです。 真似をして学んだことを使って自由に描き、自由に作る過程で、「真似をしたこと」を自分のものにする事が出来るのですから。 これは勉強でも同じです。 あんな訳の分からない絵を描いていたピカソですら、若い頃はバリバリの写実を描いていたのです。そのしっかりとしたデッサンの基礎があったからこそ、芸術性を保ったまま絵を崩すことが出来たのです。 ピカソが最初からデッサンを無視したような絵ばかり描いていたら、ただのイタズラ描きにしかならなかったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.12.23 09:08:46
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