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「物語とは何か?」というと、それは「つながりを言葉で紡ぐこと」です。
昔々 あるところに おじいさんと おばあさんがおりました おじいさんは やまに しばかりに おばあさんは 川に 洗濯に行きました おばあさんが 川で洗濯をしていると 大きなモモが つんぶく かんぶく と流れてきました ここで語られているのは「空間的つながり」と「時間的つながり」です。 「おじいさん」と「おばあさん」という「人と人のつながり」も語られています。 そこに「桃太郎」が加わり、さらに、人間以外のイヌ、サル、キジが加わります。そして、それぞれが、それぞれの得意技を使って「鬼」と戦うことになります。 「桃太郎」だけでなく、日本にも世界にも、太古の昔から「昔話」が存在していて、人々はそれを語り継いできました。その内容の多くは荒唐無稽で、実際にはあり得ないようなものばかりですが、昔の人はそれを大切に受け継いできたのです。 神様のことを語った「神話」と呼ばれるものも「昔話」の仲間です。 「人と人の物語」「人と自然の物語」「人と動物たちとの物語」「生と死の物語」「善と悪の物語」「見える世界と見えない世界の物語」、そういうものが「昔話」という形で語られ、受け継がれて来ました。 人々は「物語」を通して、「自分が生まれてきた世界」の「目では見ることが出来ないつながり」を理解し、「自分もそのつながりの一部であること」を理解して来たのです。 人は「科学」を知らなくても生きて行くことが出来ます。実際、人類は何十万年と科学なしで生きてきたのですから。でも、人はなぜか自分のルーツを知りたがります。自然の不思議の意味を知りたがります。なぜ人は生まれ、死んでいくのかということの理由も知りたがります。 これは「心」というものに目覚めた人間としての本能なのかも知れません。なぜなら、幼い子どもたちも「心」が目覚める頃になると同じようなことを聞いてくるからです。 皆さんも「なんでお月様は私に付いてくるの」と子どもに聞かれたことがあるのではありませんか。 子どもから「何で人を殺してはいけないの?」と聞かれて、「今時の子はそんなことも分からないのか」と驚く人もいますが、でも、そのことを子どもにも分かるようにちゃんと説明出来る大人は少ないです。科学でも説明出来ません。皆さんは説明出来ますか。 実は、「人が人を殺してはいけない」という理由は物語という形でしか説明出来ないのです。 科学が扱っているのは物質世界の事だけです。そして、物質世界だけの話なら、人が人を殺しても「ああ、そうですか」というだけの話です。科学は善悪の判断はしませんから。 「心の世界とつながるようなこと」は「科学」という形ではなく、「物語」という形でしか伝えようがないのです。 でも現代人は、物質の世界しか扱うことが出来ない科学」のことばかりを大切にして、「心の世界を扱うことが出来る物語」を大切にしません。 だから「頭育て」は出来ても「心育て」が出来ないのです。 <続きます> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.01.03 08:50:55
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