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7才前の子どもたちは、「心の目で見たもの」と「実際に目で見たもの」との区別がつきません。それを判断するためには「自我」と呼ばれるものの育ちが必要だからです。
この「自我」とは、簡単に言うと「自分自身を他者として向き合うことが出来る能力」のことです。この「自我」が育つから他の人達と平和に社会生活を営むことが出来るようになるのです。 そして、この自我の育ちは仲間との群れ遊びを通して少し目覚めはじめ、7才と9才頃に大きく変化し、思春期が終わる頃まで続きます。 自分自身を「他者」として向き合うことが出来るようになるから、「自分とは異なる他者」の存在もちゃんと分かり、「自分」と同じように肯定することが出来るようになるのです。 自我が目覚める前の幼い子ども達は、自他の境界が曖昧な世界に生きています。自分と、他の子やお母さんや自然との境界も曖昧です。だから容易に、自分の感情や感覚を相手に投影してしまうのです。 その状態の子は、大人から見たら明らかなイジメをしていても、相手の子の気持ちが分からないので、「イジメをしたらダメでしょ」と叱っても、何で叱られているのか理解出来ません。 自分が楽しんでいる時には「相手の子も楽しんでいる」と勝手に思い込んでしまうのです。 そんな状態の子どもたちでも、5才頃になって仲間と群れて遊ぶようになってくると「自分と他の子は違うんだ」ということが少しずつ分かって来ます。でもそれと同時に「なんで分かってくれないんだ」という想いも生まれてきます。孤独も感じるようになってきます。 「自分は自分」という意識の目覚めは、孤独という感情も目覚めさせるのです。 特に、9才とか14才とか、自我か大きく成長する時期に孤独も強く感じるようになります。そのため、荒れたりもします。でも、その成長が一段落すると落ち着きます。 でも、この年齢になれば誰でも自動的に「自分は自分」という意識をちゃんと持てるようになるのかというとそういうわけではありません。 特に現代社会では、「自分とは異なる他者の存在」が理解出来ないまま成長してしまっている若者や大人がいっぱいいます。 知識として頭では分かっていても、感覚的に分からないのです。 そういう若者は大人になっても自分中心にしか物事を見たり、聞いたり、感じたりする事が出来ません。そのため、趣味や興味や欲望のまま行動します。そして、自分の価値観や考え方を相手にも押しつけようとします。 「自分が面白いと思うことはみんなも面白がってくれるはずだ」と勝手に思い込んでいるのです。だから、「イイネ」を得るために、色々な所で非常識なことをして動画をアップしているのです。まさかみんなから非難されるとは思わずに・・・。 ネットで、そんな「困ったことをした子」がみんなに責められて「それが悪いことだとは知らなかったんです」と言い訳をしたという記事を読みましたが、このような子は、「自分の感覚」と「自分の頭」で「自分がやっていることの意味」を判断出来ないのです。 お寿司屋さんであのような行為をして、「悪いことだとは知らなかったんです」と平気で言える感覚の子が増えて来ているのだとしたら恐ろしいことです。 そういう子は、「自分とは異なる価値観、考え方を持っている自分と対等な他者の存在」が理解出来ないのでしょう。 <スミマセン、明日に続きます> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.02.16 16:30:51
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