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皆さんは、子育てや、子どもの教育に関して「生活の場での当たり前のことを体験させ、学ばせること」と「ピアノや英語のような特別なことを体験させ、学ばせること」とではどちらが価値があると思いますか。
一般的には、日常生活でも学べる「当たり前」のことを体験し、学ばさせるために高いお金を払ったりしませんよね。 日常生活では学ぶことが出来ない「特別なこと」を教えてくれるから高いお金を払ってまで我が子を通わせるのですよね。 「群れ遊びの場」を作り、子ども達に自由に遊ぶ体験をさせても、ただ遊ばせるだけで、そこで何らかの特別な指導をしたり、特別な何かを教えたりしなければ、それだけで高額のお金をとることは難しいですよね。実際、そのような活動をしているプレイパークは無料ですから。 自分たちが住んでいる地域で「子ども達が遊べる場を作る」といったような活動をしている人たちの多くもボランティアで活動しています。 その逆に、子どもの生活には全く必要のないピアノや、英語や、お勉強といった「特別なこと」を教えている人は、ちゃんとした金額の謝礼をもらうことが出来ます。 幼稚園でも、最近は子どもが減ってきているので英語教育や早期教育など“特別なこと”を看板にして生徒を集めているところもいっぱいあります。 では、どっちが子どもの心とからだの育ちにとっては必要なことだと思いますか。 どうも、現代では子どもの成長に必要な「当たり前のこと」より、子どもの成長には必要がない、時には子どもの成長を阻害するような「特別なこと」の方が価値が高いようです。 でも、9才頃までの子どもの成長にとって必要なのは、身近な生活の場で体験し、学ぶことが出来るような「普通の事」ばかりなんです。本来、それ以上のことは必要がないのです。 でも今、その「普通」を学ぶことが出来ずに「特別なこと」ばかりを学ばされている子が多いのです。 もっとも、現代人は簡単便利だけを求めて日常生活を大切にしてはいませんけど。 家族がみんな音楽が好きで楽器にも慣れ親しんでいるのなら、その家族の文化として、子どもにもピアノや楽器を習わせることは自然なことだと思います。でも、親は興味がないのに子どもにだけ楽器を学ばせるのは、子どもの成長にとって必要がないことです。 英語も同じです。親が英語が好きだったり、英語を必要とするような生活をしているのなら、英語はその家族の文化の一部ですから、子どもにも英語を学ばせるのは自然なことです。でも、親自身は興味がないのに、子どもにだけ幼いうちから英語を学ばせるのは無駄なことです。もっと必要な学びがいっぱいあるはずです。 子どもに何かを学ばせたいのなら、まずはお母さんが、子どもと一緒に楽しめることを「遊び」として教えてあげればいいのです。 お母さんが歌が好きなら、子どもと一緒に歌えばいいのです。ダンスが好きなら一緒に踊ればいいのです。山が好きなら一緒に山に登ればいいのです。お料理が好きなら子どもと一緒に作ればいいのです。 お金を払って専門家の所に通わせるのは、子ども自身が「もっと学びたい」と言い出してからでいいのです。 大切なことは、日常生活の中で〝好き〟を育ててあげることなんです。 自分は無趣味だから子どもにはいっぱい趣味を与えてあげたい・・という発想は止めた方がいいです。嫌いにさせてしまうだけかも知れませんから。 「自分は勉強が出来なかったから」と、子どもを勉強に追い立てても勉強嫌いの子が育つだけです。もし、我が子を「勉強が出来る子」に育てたいのなら、お母さんも子どもと一緒に学びながら、発見する楽しさ、学ぶ楽しさ、考える楽しさを伝えてあげて下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.21 07:39:57
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