|
カテゴリ:カテゴリ未分類
「魂」などいうものをテーマにするとなんか怪しいオカルトか宗教の話のように思われてしまうかもしれません。実際、普通の子育てや教育の場で「魂」につて語られることは滅多にありませんよね。シュタイナー教育は別ですけど。
でも、「魂」という視点を持たないと「人間の教育」は出来ないのです。 実際、「魂」という視点を持たない現代の教育が目指しているのは、「AIのような能力を持った子どもたちを育てること」ですよね。また我が子にそのような能力を望んでいるお母さんたちもいっぱいいます。だから早期教育に熱心だったり、子どもを勉強に追い立てているのでしょう。 幼いうちから、子どもをテレビやスマホやタブレットなどに預けてしまっている人が「魂」について考えているとは思えません。 そんな現代人が憧れる能力を持ったAIは「魂」というものを持っていません。ですから、自分の感性で「真・善・美」を判断することができません。AIによる判断は100%データに基ずくものであって、自分自身の感性によるものではありません。 だから、どんなに高度な能力を持ったAIでも、「人を殺す方法を教えて?」と聞けば、なんの躊躇もなく教えてくれます。相手が子どもであってもです。 AIを搭載した戦闘ロボットは、何の躊躇もなく人を殺すでしょう。 こういう場合、普通の人間は躊躇しますよね。 なぜ躊躇するのですか? それは「私の中のもう一人の自分」が自分の思考や行動を見ているからではありませんか。 普通の人は「罰せられるから犯罪を起こさない」のではないですよね。「人を苦しめるようなこと」をすると、「もう一人の自分」が苦しくなるから「犯罪」を起こさないのですよね。 その「もう一人の自分」を持っているのは人間だけです。だから監視する人がいなくても自制することが出来るのです。 人間以外の動物たちはただ本能のままに行動するだけです。だから、自分と自分が戦うことで心が病むことがないのです。 自分で自分を責めて苦しんでいる人がいっぱいいますが、それも「もう一人の自分」がいるから可能なんですよね。 皆さんも「意識の主体としての自分」の他に、「自分を見つめるもう一人の自分」を持っていますよね。それを感じることが出来ますよね。 中にはその「もう一人の自分」の働きが弱い人もいるかもしれませんが、そのような人はこのような面倒くさいブログは読まないと思います。 私は、その「もう一人の自分」を「魂」だと考えています。 だから「魂」は当たり前の存在であって、怪しい存在でも、特別な存在でもないのです。 話しがオカルト的になったり面倒くさくなるのは、その「魂」が「輪廻」や「霊的な世界」という考え方と繋がるときです。でもそれは検証不能のことなのでここでは扱いません。 私は原則として、皆さんが自分でも検証できるようなことしか書かないようにしています。 でも今、その「もう一人の自分」の育ちが未熟なまま育っていく子どもたちが多いような気がするのです。そのような状態の人は「匿名」なら好き勝手なことを言ったりやったりしてしまいます。 それを止める「もう一人の自分」が目覚めていないからです。 子育てや教育を「魂の育ち」という視点から見直してみませんか。 そうでないと、人間も社会もどんどん「人間らしさ」を失ってしまうような気がします。 というか今もうすでに現在進行形ですけど・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
こんにちわ。
6年生の子どもたちが、池でとった亀が外来種だからこれは殺していいと言って、顔に棒を突っ込んで殺していた。と帰宅した息子から聞きました。 息子は外来種だと殺していいは変だよねと言ってます。きっと、外来種が日本にいる理由や事情を知り、さらに生き物のストーリーを知れば、そんな殺し方は魂の声でできないんじゃないかな…と思います。 (2024.06.10 16:00:53)
めげぞうさんへ
>6年生の子どもたちが、池でとった亀が外来種だからこれは殺していいと言って、顔に棒を突っ込んで殺していた。と帰宅した息子から聞きました。 テレビでもこういうことやっていますからね。 こういう感覚の子(人)は戦争になれば平気で人を殺すのでしょうね。 罰せられることは悪だが、罰せられないことは善だという感覚なのでしょう。 善悪の判断を他者に依存しているのです。 (2024.06.11 06:23:24) |