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悩みを抱えていて、悩みから抜け出せなくて苦しんでいる人は、「一つの考え方」「一つの見方」「一つの視点」にばかり囚われて、頭と心の自由を失ってしまっています。
子育てでも、人生でも、「正解」に囚われている人ほど悩みが多くなるし、悩みから抜け出せなくなります。 また、子どもや周囲の人との対立も多くなり、子育てや人間関係が上手く行かなくなります。 でも家庭でも、学校でも「正解」しか教えてくれません。 でも、私たちが生きている現実の世界には「固定された正解」などありません。あるのは「その場、その状況に合わせた正解」だけです。だから、現実世界を自由に生きるためには、その場、その状況に合わせて、自分の感覚で感じ、自分の頭で考えて正解を導き出すしかないのです。 親や先生といった「他の人から与えられた正解」は「一つの例」に過ぎないのです。 そして、「その場、その状況に合わせて、自分の感覚で感じ、自分の頭で考えて正解を導き出す能力」は、教科書を使った授業、暗記中心の授業では育てようがないのです。 「自然の中での仲間と群れて遊ぶ自由な遊び」ではそのような能力が育ちますが、今の子どもたちはそのような遊びをすることが困難です。 「創ったり、描いたり、表現したり、演じたりといったような芸術的」な活動もそのような能力を育ててくれますが、そういう活動を大切にしている学校は少ないです。 道を歩いていて、道の真ん中に石が落ちていたとします。 小さな石なら無視できます。 ちょっと大きいのなら「じゃまだな」とどかすことも、避けることも出来ます。 でも、その道をふさぐほどの大きな石が落ちていたらどうしますか? そんな時、その道(正解)にこだわる人は何とかその石をどかそうとするかもしれません。でも、自分の力では動かせないほど大きくて重かったら、その前で立ち往生して自分の不運を嘆くかもしれません。 でももし、その状況を空から見ている人がいたら、その道にこだわって立ち往生している人はどう見えると思いますか。 立ち往生している人には、目の前の「大きな石」しか見えないかもしれませんが、上から見ている人には「その石の周囲に広がっている広い野原」が見えているかも知れません。 その野原の向こうに、「自分の目標」も見えているかも知れません。 それが分かったら、目の前の道(石)にこだわらずに、野原の中に自分で道を作ってしまえばいいのです。そうすれば前に進むことが出来るのですから。 また、ちょっと戻れば別の道があるかも知れません。 でもそれに気づくためには、別の視点(次元)から考えてみる必要があるのです。 石の向こうだけが「前」ではないのです。自分が進んでいる方向が前なんです。自分らしく生きるということはそういうことなんです。 ちなみに、進むのをやめてしまった人には「前」がありません。 このようにちょっと視点を変えてみるだけで頭と心が自由になるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.03 06:03:20
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