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(今日は岩手県の盛岡に来ています。昨日は仕事でしたが今日はフリーなのでブラブラして帰ります。)
私たちは、「生まれた後から学んだ記憶」と「生まれる前に学んだ記憶」の「二つの記憶」を持っています。 その「生まれる前の記憶」に、「前世の記憶」や、前世と今生の間の「神様のところにいた記憶」も含める人もいますが、それは「信じるか信じないかはあなた次第です」という世界の話なのでここでは扱いません。 私が言っている「生まれる前に学んだ記憶」というのはもっと客観的で科学的なものです。 例えば「本能」と呼ばれるものは「生まれる前に学んだ記憶」の表れです。 この「生まれる前の記憶」は、私たちが一般的に「記憶」と呼んでいるものが記録されいる海馬や大脳皮質ではなく、「爬虫類の脳」と呼ばれている「脳幹」と呼ばれるものに存在しています。この記憶が私たちの命の働きを支えています。そしてこの記憶は、人間が人間になるずーっと前、「動物」という存在になった時から作られてきました。 でももっと古い記憶もあります。 私たちが怪我をしたり病気をした時に、特別な治療などしなくても勝手に治ってしまうのは、そのさらに古い「生まれる前に学んだ記憶」のおかげです。 その記憶は、細胞それ自体の中に記録されています。その「記録」が書き込まれているのがDNAとと呼ばれるものです。そのDNAの中の記憶があるから、受精卵は細胞分裂を繰り返しながら、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、人間という風に人類の進化を繰り返しながら「人間の赤ちゃん」として産まれることが出来るのです。 それらの記憶は「何億年」という単位の時間の積み重ねによって作られてきました。 でも、それらの記憶は「無意識」という働きの中に隠れてしまっているので、普通の記憶を思い出すようには思い出すことができません。 でも、色々な場面で皆さんの選択に働きかけています。「何が食べたいのか」、「どこに行きたいのか」ということを考える時にもその記憶は働いています。 子どもの成長を支えているのも、その「生まれる前の記憶」です。 お母さんが我が子を愛し、一生懸命に育てようとするのも「生まれる前の記憶」が働いているからです。 でも現代人はその「生まれる前の記憶」のことを忘れ、「生まれた後から学んだ記憶」だけを使って生きているつもりになっています。「生まれる前の記憶が存在している」ということ自体を知りません。 その結果「命の働き」が歪み始めてしまっているのです。それは、成長の歪みとしても表れています。 <続きます> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.09.30 18:51:39
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