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桜を育てる時には、桜の特性を知り、その特性に合わせる必要があります。人間の都合に合わせるのではなく、育てようとする桜の特性に合わせるのです。そうでないと、どんなに立派な桜の木を育てようとしても失敗します。
これは「育てる」ということにおける大原則です。草や木だけでなく、犬や猫や象などを育てる時も同じです。そして当然、人間を育てる時も同じです。 でもみんな、人間を育てる時にはこの原則を無視してしまいます。そして、親の都合、社会の都合に合わせて子どもを育てようとしています。 それは多分、子どもと大人は違う感覚、違う思考、違う意識、違うからだを持った別の生き物だということに気付かないからなのでしょう。 「違っていること」は分かっているのですが、それは単に「子どもがまだ未熟だからだ」というように理解してしまっているのです。 「同じ人間だし、自分も昔子どもだったので何でも分かっている」と思い込んでしまっているのでしょう。 人はみな自分を物差しにして外の世界のことを見て判断しています。でも、その「自分という物差しを測る物差し」は持っていません。そのため、成長に伴う「自分から見た世界の変化」は分かっても、「自分自身の変化」は分からないのです。 そのため、「子どもと大人の違い」を、「質の違い」ではなく、「量の違い」として理解してしまっているのでしょう。 確かに、「量の違い」だけなら、「まだ子どもが知らないこと」をいっぱい覚えさせれば大人と同じようになるでしょう。風船が小さいのなら、空気を入れるだけで大きくなります。でも、人間の場合はそうはならないのです。 子どもはその成長の過程において成長に必要なもの、見たいこと、やりたいことも変化しています。3才児と5才児とでは、「成長に必要なもの、見たいこと、やりたいこと」が異なるのです。5才児と7才児も、7才児と9才児も異なります。 だから、子育てや子どもの教育においても、その年齢に合わせて、「子どもの成長に必要なもの」を与えてあげる必要があるのです。 大人の都合に合わせて子育てや教育をするのではなく、子どもの都合に合わせて子育てや教育をするのです。 でも、そんな事を言うと「そんなことをしたら子どもに振り回されてしまう」と言う人もいるかも知れませんが、それは大丈夫なんです。 子どもの各年齢の特性に合わせて、環境を整え、大人と子どもが一緒に生活をして、子どもと子どもが一緒に遊んでいれば、子どもは自分の成長状態に合わせて、自分で勝手に「自分の成長に必要なもの」を吸収していくからです。 子どもも大人も同じ人間であるからこそそういう仕組みが働くのです。人間が象を育てる時には象の特性をよく調べなくてはいけません。でも、象が象を育てる時にはそんなことする必要はないのです。他の象との関わり合いさえ保っていれば、子どもの成長に任せているだけで小象はちゃんと大人の象になるからです。 でも、人間は、自ら手本を見せることなく、大人の都合、社会に都合に合わせて子どもを育て、教育しようとしています。「大人と子どものつながり」を作ろうとせず、「子どもと子どものつながり」も消してしまいました。 だから子どもはその成長において迷子になってしまっているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.11.02 07:19:43
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