「遊びのように学ぶ」(勉強は遊びだ)
文字が覚えられない子、考えることが苦手な子、勉強が嫌いな子はいっぱいいます。一般的に、そういう子は「頭の悪い子」として扱われます。でも私は「本当に頭が悪い子」はいないのではないかと思っています。確かに「得手、不得手」「得意、不得意」はあります。音楽や絵などの芸術的な分野やスポーツなどではそれがはっきりとしています。そのような子ども達は「イメージ能力」に優れています。音楽の才能がある子は「音」を自在にイメージすることが出来ます。絵の才能がある子は「色や形」を自在にイメージすることが出来ます。スポーツの才能がある子は「動き」を自在にイメージすることが出来るのでしょう。確かに生まれつきそのような能力に優れている子もいます。そしてこれには気質も関係しています。でも、生まれつきそのような能力に優れていなくても、「学び方」を工夫してあげれば、その子の能力に応じた才能は育てることが出来るのではないかと思うのです。そして実際、子ども達は「遊び」という形で、本能的に「自分に合った学び方」を模索しています。「遊び」が楽しいのは、遊びの場では、子ども達が「自分に合った学び方」をしているからでもあるのです。だから子どもは「遊び」を通して成長することが出来るのです。(ただし、ゲームなどのような受け身的な遊びは別です)でも大人達は、その「子どものやり方」を否定して、「大人のやり方」を押しつけようとします。「遊びなんてくだらないことをやめて勉強しなさい」と追い立てています。でも子どもは、大人の「お仕事のような勉強のやり方」では学ぶことが出来ないのです。「身体感覚やイメージの働きとつながっていない学び」は出来ないのです。だから、頭だけを使うような勉強を押しつけられた子は勉強が嫌いになるのです。「身体感覚やイメージの働きとつながっていない学び」は、いくら勉強しても頭に入りません。「からだの中に入ってこないような学び」は「頭の中」にも入ってこないのです。結果「頭の悪い子」として扱われることになります。でもそれは、その子本来の能力ではないのです。本来、子ども達はみんな「学ぶこと」が大好きなんです。「遊び」は、その「学びたいという欲求」の表れです。でも、実際には、多くの子どもたちが、大人に管理された狭い環境の中に閉じ込められ、自由を奪われ、簡単で便利な機械を与えられ、一緒に遊ぶ仲間もいない状況で暮らし、勉強を押しつけられています。毎日そんな状況の中にいたら、「学ぶ楽しさ」を知ることもなく、そのまま成長することになりますよね。それで結局「頭の悪い子」という状態になってしまうのです。