テーマ:ワイン大好き!(30532)
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2017年10月 ドイツ出張備忘録 8. Ökologisches Weingut Schmitt
モーゼルの次にラインヘッセンのエコローギッシェス・ヴァイングート・シュミットを訪れた。ラインヘッセン南部のニーダーフレアスハイムにあり、各駅停車が停まる駅がある。日本人には馴染のある、メッセージ・イン・ア・ボトルのリーダーの一人だった、クラウス=ペーター・ケラー醸造所まで歩いて15分といえば、だいたいどのあたりにあるかわかってもらえるだろうか。
私がこの生産者に興味を持ったのは、ジョージアのクヴェヴリを使ったワインを造っているからだ。『オルフェウス』と言う名のそのワインは、あの頃、秋田のヴァインパラディースが輸入していた。今はドリームスタジオから独立した小山さんのKeppagleが扱っている。入荷するとすぐに売り切れる人気商品らしい。 2017年10月、私がビアンカとダニエル・シュミットを訪問した時は、ドリームスタジオの輸入が始まっていた。その前の年の1月、フランスのディーヴ・ブテイユというナチュラルワイン試飲会で、ビアンカと小山さんと出会ったのが縁で取引が始まることになった。ヴァインパラディースの鈴木さんが取引していたのは、ビアンカの夫ダニエルの両親と取引があった。シュミット家がオーガニック栽培を始めたのは2007年。ブドウ栽培を始めたのは7世代前まで遡るが、1990年に醸造所を設立したのはダニエルの両親だ。広々としたスペースの直営居酒屋もあり、近い将来、ダニエルの妹が本格的なレストランにすることを目指していると言っていた。 ビアンカとダニエルが出会い、二人でナチュラルワインを造り始めたのは2012年のことだ。その年、ビアンカがハンガリーから栽培醸造を学びに、シュミット家にやってきた。
ビアンカの祖父はワインを造っていた。『祖父母の家はワイン生産地域にあったの。祖父が十代のころ市民戦争があって、家のあった地区はロシア軍の爆撃にあった。幸い祖父は生き延びたけれど、生きるために働くのが精いっぱいだった。色々な仕事に就いて、毎日8時間めいっぱい働いていた。けれども、どの仕事も彼が情熱を傾ける対象ではなかった。ワイン造りが彼の生きがいだった。
両親は外国に出稼ぎに出ていたので、祖父と一緒に暮らしていたの。祖父はいつも私をワインまつりや試飲会に連れて行ってくれた。ワインの話をしてくれて、セラーにはいろいろな醸造器具があった。コンクリートタンク、ステンレスタンク、木樽も。そこは私のお気に入りの場所だった。
もう一カ所がダニエルの醸造所で、落ち着いた内容の手紙だった。醸造所のサイトの写真を見ると50歳くらいの年配の人が主のようで、彼が書いてくれたのかな、と思った。写真には15、6歳の男の子が写っていて、親しみがわいたのでここに決めたのだけど、実際来てみたらそれは10年前のもので、写真の中の男の子は25歳のダニエルだった。あの頃はドイツ語が出来なかったから、醸造所で唯一英語が話せるのはダニエルだったし、一日中彼と一緒にいるうちに恋に落ちた。
収穫期間が研修期間だったのだけど、収穫が始まる直前にダニエルとアルザスのパトリック・メイエ(ドメーヌ・ジュリアン・メイエ)を訪問したの。そこで亜硫酸無添加のワインを試飲して、あれほど素晴らしい、生き生きとしたワインを造ることが出来るのだということに感動した。ワインの中にビリビリと電流が流れているかのような、ポジティヴな勢いがあった。それで、これから始まる収穫で、こんなワインを造るぞって決めた。それが2012年9月。
今は結婚して、16カ月の息子がいる(2017年10月当時)。本当はガイゼンハイム大学で学ぶつもりで入学手続きまで済ませたのだけれど、叶わなかった。今は地元の醸造学校に通っていて、明日はヴィンツァーマイスターの試験なの」。
最初の樽は軽く繊細でやわらか。二番目の樽にはチョークでハートが描いてあった。ポジティヴにワインのことを考えると、ポジティヴなエネルギーがワインによい影響を与えると考えているそうだ。こちらはバランスが良く一体感があり、舌触りが心地よい。三つ目の八週間マセレーションした樽は、まろやかで甘味を感じた。どの樽も個性的で、販売時にブレンドされるのが惜しい気がした。
ラインヘッセンで愛をはぐくみ、醸造家になる夢を叶えたビアンカ。 近い将来、ブドウ畑の中に新しい醸造所を建てて独立したいと言っていたが、その後どうしているのだろうか。日本でワインの評判もよく、これからの活躍に期待したい。
(つづく)
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Last updated
2021/03/18 11:44:51 PM
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