川崎から文学誌をいただきました
4月の「ふくやま文学」合評会でご一緒した、川崎市の荻野央さんから、三冊の冊子が届きました。荻野さんの入会なさっておられる文学の会の機関誌です。「群系」第38号、「風の道」第7号、「人物研究」第39号、このうち、「群系」と「人物研究」は評論、「風の道」は小説の機関誌のようです。合評会でお会いした時は、まったくそんな話題にならなかったので、僕も知らないままだったのですが、評論のほうの機関誌では、荻野さんはなんと、詩人の石原吉郎の著作について論文を寄せておられました。石原吉郎の詩のファンの、もず。そうと知っていればもっと食らいついてお話ししたのに、と残念に思いました。まあ、またお会いする機会はあるでしょう。それにしても、石原吉郎なんて、もう忘れられた詩人かと思っておりました。こうして熱心に研究しておられる方がいらっしゃるのは、とても嬉しいことです。・・・・・・と、あたかも最近の出来事のように書いておりますが、冊子が届いたのは6月の中旬。もう一月も前のこと。今までなにやってたんだという感じですが。 しかも、まだ礼状も書いてない・・・。ええ、明日書きます。 * * * 慎重に、とても慎重に、新しい作品にとりかかっています。慎重に、というのは、今までの失敗をもうくり返さないように、という意味合いです。 福祉の仕事をしていて、指摘されていること。おそらく物書きとしても、同じ欠点があるのだと思います。ただ物書きとしての自分には、クライアントも上司もいないので、間違ったまま進んでも、電話で苦情がくるわけではないし、審査請求があるわけでもないし、上司に叱られることもないし。それで、気づかないまま進んでいたのだと思います。なので、今回は自分がクレーマーとなり、神経質な上司となり、急がず、調子づかず、じっくりと、取り組もうと思います。 立体的に人を描くということを、やってみたい。型にはまった発言をする人がいるとして、その発言を通して、型にはまった人物だと、発言者は誤解される。だがその発言をした真意には、その人なりの固有の人生と、発言の対象者に向けた愛がある――そんなところを、一人一人の登場人物に描いてみたい。みんな愛を持っていて、みんな誤解されていて、そして分かり合えない。これがきちんと書けるなら、話の筋なんて平凡でいいと思っています。 今度は中部日本、東日本で大雨だとか。これ以上の被害がなく済みますように。