Dr.ビュートのソフィーリッチ・・23
「小山硬(嘉多志)少年の家族」の解説・・3山中直樹記 「二人の姉」さま 小山少年の二人の姉さまがすばらしい。 制服を着ていると思われる左の姉さまは、清楚さが漂う女学生。 思春期の一抹の憂愁、ハタマタ、社会情勢の不安を感じての表情か。 右の姉さまは、三つ編みに結った髪に、活発さ、幼さと無邪気さが漂っています。 屈託のない微笑ましさを感じます。 二人の姉さま共に、日本女性の持つ理不尽には屈しない「強さ」と優しい「慈愛」を感じさせています。 我が日本は、歴史的事実の直視を曖昧にして、先送りしているために、今なお、そのトラウマから立ち直っていないと言えます。 “大人”が時代の変化に対応しきれておらず、子供達に対してブレない判断基準に基づいて、何を叱るべきかを明確に出来る大人、成人になりきれていないのが現実です。 急速なIT(情報技術)や遺伝子・クローン技術などの進歩・発展に伴って、人々に、理解度の差による不安とギャップを生じさせてしまっています。 加えて、グローバル化の波が押し寄せて、社会的構造を変えている現実があります。 そうした現実に、マンガ、アニメ、映像等のキャラクターに、幼時志向的な、“可愛い”系の“女の子”に、多くの人達が「オタク・萌え」となっているとも言えます。 自己中心的な、自己愛の幻想に籠りながら、幼さと無邪気な恋情に心惹かれて、現実直視から逃避しているのではないでしょうか。 美術家・奈良美智が表現している少女や仔犬の如く(ともだちがほしかったこいぬ、マガジンハウス・奈良美智From the Depth of My Drawer,フォイル)、何に対してか判らないが喜怒哀楽や、不安そうな目や口元が思い出されます(私は日本的能面世界の表現法が芸術的発展をしたのだと感じます)。 人が生きると言うことは、どんな時代、状況であれ、現実、虚構、幻想の中で、「煩悩」を避けて通ることは出来ません。 如何な反人間的な社会的状況や試練に在っても、「慈愛」を持って、現実から逃げることなく、「煩悩是道場」と「莫妄想」の志向、思考できる文化が必要だと思っています。 作家・小山の「マンガ絵」や「隠れキリシタン」作品のキャラクターには、それがあると思うのです。 私は、凛としながら、慈悲が漂う「二人の姉」、「兄ヨメ」や「オフクロ」像のキャラクターに、日本的で偽りのない「莫妄想」な「オタク・萌え」像を感じるのです。 web designer: 森 泉 ・・・