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2005/04/18
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カテゴリ:まじめな教育論
私は教育は暴力だと思う。
特に小学校の思想教育なんて、暴力以外の何者でもない。
疑いを知らない子供が、大人から無条件でふるわれる暴力。
大人の価値観を一方的に押し付ける言葉の暴力。
小学校教育は、大人がその気になれば、思想教育という暴力の殿堂になる。

ただ暴力という言葉は正確ではないし過激すぎる。
暴力というより、「刷り込み」という言い方をした方が適切ではないか。
そして刷り込みには「暗記」という手段が最も適している。

教育勅語が戦前なぜ猛威をふるったか。
それは反抗を許さない圧倒的な政治体制のもと、「暗記」という手段で、教育勅語が子供の脳に取り入れられたのが大きい。

幼少期の子供の心は真っ白なキャンバスであり、戦前は白いキャンバスに、暗記という手段で「教育勅語」というスタンプが黒々とでっかく押された。
幼少期に教育勅語スタンプを押された人たちは、戦後政治体制が一変しても、取っても取っても痕跡が消えない刺青のように、幼い時に植え付けられた価値観が残った。

暗記という手段で刷り込まれた思想は、なかなか消えるもんじゃない。
特に高等教育を受けなかった人に、そんな傾向が強い。

大学や大学院で、数多くの書籍を通して、さまざまな思想に接することができる環境にある人は、自分が幼少期に刷り込まれた思想に疑いを持ち、自分が幼少期に受けた思想教育は間違いだったんじゃないかと、疑う機会があるだろう。新しい思想を自分のものにできる。

しかし、義務教育しか受けられず、書物に接する機会が少ない人は、幼少期に暗記して刷り込まれた思想を絶対視する傾向が強い。自分が刷り込まれた思想以外に、世界には様々な価値観があることなど想像できないし、新たな価値観に適応する柔軟な転換装置がない。幼少期に受けた思想の心棒者になる。

それで、インテリ層と非インテリ層の「考え方の違い」が生まれます。
大学生は戦後左翼に転向し、農家のおばあさんは死ぬまで天皇を「天皇陛下様」と呼びつづけるわけだ。
日々の労働で忙しい農家のおばあさんにとって、幼少期に暗記した教育勅語は絶対的なものになる。

とにかく暗記という手段は恐ろしい。かけ算九九をいったん暗記してしまえば、恐らくどんな手段を取ってみても私たちの頭から去らないのと同じように、思想教育の面でも暗記は子供の心に決定的な影響を及ぼします。

たとえば中国の例を挙げると、中国では「暗記」を日本より重んる。「わからせる」より「覚えさせる」。
王朝時代の科挙から、共産革命後の「毛沢東語録」の暗記に至るまで、日本よりはるかに記憶力重視の教育を施している。暗記は中国のお家芸と言っていいかもしれない。。
彼らは歴史の教科書を、一文一句お経のように暗記するらしい。そして戦前日本の中国に対する狼藉行為まで、しっかりと強制的に暗記させられる。
中国の子供たちは教科書の暗記によって、日本への敵意が子供の頃から刷り込まれている。幼少時に暗記という手段で植え付けられ、固定化した反日感情は容易には変わらないだろう。

とにかく教育は言葉の暴力だ。思想教育は暴力だからこそ恐ろしいし、やり方によっては効果は絶大なものとなる。
暗記の怖さを、我々は自覚しなければならない。





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Last updated  2005/05/18 12:38:59 PM
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