|
テーマ:塾の先生のページ(7813)
カテゴリ:まじめな教育論
あちこちで猫を探している。早く自分の飼い猫が欲しい。
寺や神社の境内、ネットの里親募集、ペットショップ、路地の片隅など、いろんな場所を探しているが、私の「ポン太・ピノ子」になるべきカワイイ子猫は、いまだに見つからない。 子猫は今あまりいないし、いたとしても大きすぎたり、目がキツかったり、元気がなかったり、人嫌いで逃げまくられたりで、ルックスが良く可愛げがある子猫はなかなかいない。 知らず知らずのうちに、この猫は可愛い、あの猫は可愛くないと、可愛げを基準に、猫を「選別」している。 さて教師諸君よ、我々は猫と同じように、生徒を可愛い子、可愛くない子と勝手に「選別」していないか? 生徒を平等に可愛がる教師が「良い教師」とされている。どんな過激な学園ドラマの教師でも、生徒を不平等に扱ったりしない。 生徒を平等に扱うことは、良い教師の「鉄則」で、エコ贔屓はタブーになっている。 しかし、人間には可愛らしいものを求め、憎たらしいものを生理的に嫌う本能がある。 生徒を平等に扱うのは難しい。 たとえば授業中当てたら「チッ」と舌打ちし、( ゚д゚)ハア? と生意気で陰険な表情をし、ガンを飛ばすような性格に問題のある女の子を、あなたは愛せるか。 kamiesu先生の東大寺学園高校に合格した男の子みたいな素晴らしい子と、( ゚д゚)ハア?女の双方に、平等に同じ愛を注げるか? それにはある種の「修行」が必要だ。 そこへ話が「性的」なものが絡まると、話が非常にややこしくなる。 子供に性的関心を抱く不届き教師がいる。猥褻行為で逮捕される教師は、実は在職中には異常に面倒見の良い先生だったりする。面倒見がいいのは子供を性的に愛していたからに他ならぬ。 自己犠牲のカタマリでストイックなイメージの教師が、実は性に溺れた破廉恥な人間だったケースはよくある。 もし教師が1人の子にある種の性欲を感じ、メロメロになってしまったら、教室の秩序は一気に壊れる。 たとえば小学校4年生の担任の、チェ・ジウことユジン先生がいる。ユジン先生は美しく、生徒の人気者だ。どの子にも精一杯の愛を注いでいた。 そんな平和な教室に、髪がサラサラで少し茶色ががって長く、知的な目をして、唇の少し厚い少年ヨン君が転校してきた。メガネはまだ低学年なので、かけていない。 ユジン先生は恋に落ちた。ヨン君もユジン先生を慕った。 ユジン先生はヨン君への愛で頭がいっぱいになる。授業中もヨン君に意識が集中している。家でもヨン君のことを想像するだけで、胸が苦しい。 そこへある日、ヨン君が「先生、僕悩んでるんだけど、聞いてくれる」とユジン先生に話しかけた。 ユジン先生が「何?」と優しく尋ねると、ヨン君は、 「僕ね、視力が落ちて、メガネをかけなければならなくなったんだ。恥ずかしいです。先生、僕のメガネ姿が似合うかどうか、見てくれる?」 ユジン先生が「いいわよ」と言った瞬間、ヨン君はメガネケースから真新しいメガネをかけて、ユジン先生の前で恥ずかしそうにキラリと微笑みかけた。 ユジン先生はヨン君のメガネ姿にウットリし、気絶しそうになる。頭の中に「冬ソナ」のテーマソングが流れる。 こんな状態になったら、教室はグチャグチャだ。不平等の嵐だ。 ヨン君と同じようにユジン先生を慕っているサンヒョク君は「先生最近おかしいよ」と心を痛め、意地悪でおませなチェリンちゃんは「先生とヨン君できてる」とからかう。 どの生徒に対しても、わけへだてなく平等に接するのは難しいが、絶対に平等に接しなければならないのが、われわれ教師の使命である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/12/12 01:21:09 AM
[まじめな教育論] カテゴリの最新記事
|