鈴木藤三郎報徳日めくり 9日
鈴木藤三郎報徳日めくり9日 荒地の力を以て荒地を開くという主義は、何の事業にも応用される。「黎明日本の一開拓者 父鈴木藤三郎の一生」(鈴木五郎著) ○次に家政経費調べをしたこれより先、私は報徳教を聞いてから、どうかこれを己の身分相当に自分の執る仕事の上に実行して見たいと思った。それには、どうすればよいか。二宮先生が小田原侯から野州桜町の4千石の領地復興を命ぜられたとき「決して金はいりませぬ。この荒蕪を興すには、荒蕪の力をもって興します。我が国が開闢以来今日までに開けたのは、決して外国から金を入れたということはない。やはり我が国は我が国の力で開けたのである。で、この開闢元始の道に基いて4千石の復興を致しますから、金は決していりませぬ」とお答えをして、開墾ができあがったのである。これは農業であるが、しかし、天下の事業はすべてこの通りでなくてはなくてはならぬ。この精神をもってこの法に基いて、どうか自分も実行して見たいと思った。そこで、先生の4句の文に従い、晨(あした)には暁星をいただいて起き、終日仕事をして更に夜業までして三更深くまでも勤労し、自分の分を守り堅く無益の費用を省いて分度を立て、1年の利益があればこれを来年に送り、次年に送り、次年の製品を安く買っていわゆる推譲をしようと決心し、先ず毎年の経費を調査した。 ○調査の結果経費の2割を節約した私の家の経済は養父も別に心得なかったので、一切不明であった。そこで自分で調査してみると、家の経費が260円で、1ヶ年の売上金額が1,350円である。これで算用すると、現在の純益歩合が2割5分ということになる。しかし、菓子商で2割5分の利益は少し困難である。確実な計算とすれば2割であろうと思った。そうすれば、1ヶ年の得るところ200余円で、50円ばかりの不足となる。しかし、明治10年からは自分という一人の労働が新たに加わる。のみならず、入費も不整頓であるから、これを整理すればいくらかの節約ができるに相違ない。と思ったので、先生の仕法に基いた家政経済調という書類を借りてきて、これを先例として自分の家政を分析してみた。その結果、食物、衣類等経費の項目がおよそ130余種あったが、その中には是非とも欠くべからざるものと、欠いても左まで苦にならぬものとがあった。それを一々よりわけて、節約のできる経費がちょうど50円くらいあることが解った。 ○次に残した金で商品の価を安くした明治10年からは、新しい人間になったつもりである。一方には身を節し用を省いて専心経済を治め、他方には「勤労を主とする」主義にのっとって、未明から夜半まで働いた。さて、その年の暮になって計算して見ると、1ヶ年の売上高が1,900円あまり、2,000円足らずで、経費は予算の通りであったから節約した50円の外に計算外の利益50円を得て、合わせて100円の金が残った。そこで翌年は、この金を250円とするには、すでにうち100円が手元にあるから差引150円を2,000円の売上金から残せばよいのである。2,000円に対する150円といえばざっと7分に当る。まず1割の利益を得ればよいというソロバンがたつ。そのソロバンに合うだけに品物の値を安くすることができる。値が他店に比べて安いのであるから売上高がズッと増加して、第2年の終りに3,500円となった。従来の商いの口銭は、単に外々の同業者の振合いを見て競争に堪えられる限りいっぱいの値に売っていたのであるが、私は荒地主義で分外を利用して安く売ったのであるから、得意はたちまちに殖え売上高が増加したのである。 ○5年間に売上高が10倍になったこの筆法で5か年間商業を続けたところが、第5年目には売上高が1万円、利益はわずかに5分取ってもたくさんになってきた。資本金も始めは260何円しかなかったのが、5年の終りには1,300何円となった。これで私は、荒蕪の力をもって荒地を拓くという主義は、何の事業にも応用される。天下これに由りて起こらぬ事業なしという先生の説に、一点の疑いもなくなった。その後、私はこの5ヶ年間の帳簿と、その着手当時の計算書とを持参して岡田良一郎氏―氏の父は二宮先生の高弟で、氏もまた先生の道を修め、始終先生の教えを諸方に伝えることに尽瘁され、斯道(しどう:この道)の泰斗(たいと:権威)として師事された人であるーの所に行き、始終の話をした時、岡田氏も至極賛成されて、自分も多年この道を講じ、自分も行い人にも勧めたけれども、君のごとく荒蕪の主義を商業に応用したもののあるを聞かぬ。実に斯道の模範であると激賞された。(「実業之日本」明治40年1月1日号)「斯民」第1編第9号(明治39年12月23日)「荒地開発主義の実行」 自家の分度法を立てるこれより明治14年まで5ヶ年の間を第1期として、私が計画したのであります。その時の計画を申しますと、全体私の家の経済は、養父もその辺の心得は有りませぬために一切不明でありましたのを、自分で調査して見ますると、家の経費が260円で、1年の売上金高が1,350円でありました、これで算用すれば現在の純益歩合が判るのであります。これをこれまでの分度とすればどこまでも同じ事でだめでありますが、既に自分という一人の労働が新たに加わったのみならず、しかも入用は不整頓でありましてこれを整頓しますれば若干の節約ができます。これには二宮先生の仕法に基いた家政経済調と申す書類を、外から借りて参りまして、これを先例として、自分の家政を分析して見ますると、食物衣類等経費の種目が、およそ130有余種ありました。その中で是非とも欠くべからざるものと、欠いてもさまで苦にならぬものとを一々よりわけて、節約し得る種類の経費が、ざっと50円ほど有ることを知りました。この50円に自分の真面目なる勤労の結果を加えたものが、すなわち第一年度の余得であるのです。さて、その年の暮に計算をして見ますると、1ヶ年の売上金高は1,900円あまり、2,000円足らずで、ありまして、経費は予算の通りでありましたから節約をした50円の外になお50円、併せて100円の金が残りました。そこで翌年はこの金を250円にするには、うち100円は既に手にありますから、差引150円の金を2,000円の売上の中から残せばよいのです。2,000円に対する150円、ざっと7分にありますが、まず1割の余得をとればよいというソロバンを立てて、そのソロバンに合うだけに品物の値(ねうち)を安くしましたら、そのために売上高がずっと増加して、第2年目には3,500円となりました。これというのが以前は商いの口銭は、単に外々の同業者の振合を見まして、競争に堪うる限り、一杯の値(ねうち)で売っていたのを、私が荒地主義により分外を利用しました故に、安くしただけ得意が殖えたのであります。 荒地主義の実行この筆法で、5ヶ年間商業を続けたところが、第5年目には売上高が1万円、利益は僅かに5分取って沢山になって来ました。資本金も始めは260何円であったのが、5年の終りには1,300何円となったのであります。ここにおいて、私は荒地の力を以て荒地を開くという主義は、何の事業にも応用することが出来る。天下これに因りて起らぬ事業無しという先生の御説は、一点の疑いも無いと信じました。さて、私はこの5ヶ年間の帳簿と、その着手当時の計算書とを持参して、岡田良一郎氏の所に行き、始終の話をいたしましたところ、岡田さんも至極これを賛成せられまして、荒地主義をかくのごとく応用したのはお前が始めであろうと申されました。