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カテゴリ:政治
我が国は大東亜戦争以前に外国との戦争にほぼ負けなかった状態であったためか、 終戦後70年以上経っても「敗戦自虐史観」という呪縛から逃れられないでいます。「歴史は戦勝国が創る。」などと言いますが、日本は大東亜戦争に負けた訳ではありません。米国は確かに第二次世界大戦には勝利したでしょう。しかし、国際法に違反する非道なウラン型とプルトニウム型の原子爆弾2発を世界で初めて使い、日本に勝った勝ったと喜び勇む米国の姿こそ哀れなものです。戦後米国のGHQ(General Headquarters=the headquarters of a military commander )は、日本に対し「大東亜戦争」という言葉を禁じ、国際法違反である自国の蛮行を隠蔽したのです。
日本が大東亜戦争後、急激な高度経済成長を遂げられたのは、戦争の成果として中東を含むアジア諸国等の独立により自由な貿易体制が成立したからです。大東亜戦争以前、欧米は多くの非独立国を自国の植民地とし、資源を搾取してきました。アジア諸国を開放し、経済成長に必要な膨大な資源を正当な自由貿易で得られるようにすることが、日本の戦争目的であったはずです。このような正しい日本の歴史を歪め、戦後国民に対し誤った教育を施している日教組は今すぐにでも解体すべきです。 北海道在住の安濃豊氏は、ご自身が執筆した本やネットで「(日本が)アジアを開放して何が悪い!」、と発言していますが、これは、日本悪玉論を今日に至ってもいまだ繰り広げている文系脳みそ集団である日本共産党や日本保守論壇などを痛烈に批判した言葉です。日本共産党や日教組、日本保守論壇などの共通点は、いまだ国際法違反である東京裁判史観から抜け出せないことです。 大東亜戦争後、米国GHQは戦争による日本の悪事を見いだせないため、「南京大虐殺」や「バターン死の行進」などを捏造し、東京裁判において「日本悪玉論」を展開しました。しかし、米国の犯した戦争時の悪事は日本の比ではありません。なぜ日本人は、大東亜戦争後70年以上も経過しているのに当時の米国の悪事を糾弾してこなかったのか。戦争犯罪である原子爆弾投下に対してさえ、公共の場で明白に抗議した日本人を、私は数えるほどしか知りません。 日本では大東亜戦争前、多数を占めていた庶民が貧困に喘いでいました。我が家でも四男であった父親が戦前、家計を助けるために小学校卒業と同時に桐生の製糸工場へ奉公に出されています。貧困からの脱却を目標に、資源の乏しい日本が外国に活路を求めることは当然の成り行きであったはずです。アジア諸国を植民地にして、これらの国々から資源を搾取し、自国の利益のみを追求していた欧米に対し、公平な貿易を求める日本の当時の姿勢は決して間違っていません。 モバイル版やタブレット版ではトップページを直接表示できませんので、PC版サイトに移行してご覧くださいますようお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年04月01日 18時45分19秒
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