進む渡米留学計画
昔話の続きからが、この日記の始まりです。*******************一人暮らしをして両親に認めてもらう。一人暮らしを始めたタイミングが悪かった。あれじゃあまるで、不倫相手との関係を続けるために、家族を捨てて家を出る人妻と、なんら変わりない。私が人妻ではなかっただけの話だ。皆からそんな風に思われても、仕方がないと思っていた。でも、事実はそんなに単純ではなかったと思う。私は「アメリカ留学」という夢があった。そうでなければ、既婚のブラジル人と別れないために、ここまでのことはしていなかった。400万をキャッシュで貯めて、アメリカで 栄養学専攻 でデグリーをとることをとりあえずの最終目標として、大きな骨組みはブループリントに完成させることができた。刑事からのアドバイスとインフォメーションを基に、私はこの骨組からもっともっと具体的に、細部まで、施工する設計図を立てることができた。まずは、資金の計画。400万の貯金と、ドルへの換算。私が渡米するとき、円高になってくれることを祈った。実際のところ、1ドル=100円を切ることはまずない。だから、300万ではなく、400万円という目標にした。そして、円からドルへの換算は、いっぺんにはせず、ドル安の時を見計らって、まとめてすることにした。違法就労もする覚悟だった。入学に関する計画。サンタバーバラ シティーカレッジにいくつもりだった。できるだけ、最短でお金を使うことなく、短大卒のデグリーをとり、その後4年大学へ編入する計画。栄養学専攻で 修士 もしくは 博士号 が習得できるカリフォルニアの4年大学を見つけていた。時間と学費を最小限におさえるため、ESL(語学学校)にいかずに、いきなりアカデミックで勉強することを望んでいたので、とりあえずは TOEFL を550点以上とることを目標に勉強をはじめた。このほかにも、いろいろな計画がすでに立てられていた。ホームスティではなく、アパートで暮らす。だから、ルームメートを探すつもりだった。最初のルームメートはやはり、気心知れた日本人の女の子に限られる。家での会話が日本語になったとしても、行っていきなり、文化の違う外国人と同じ屋根の下で暮らすことは難しいのだと刑事が言った。まだ見ぬ日本人のルームメート。将来何が起こるのかなんて、誰にもわからない。それが人生なのだ。母校の一年下の後輩が3人、刑事の紹介でサンタバーバラのシティーカレッジに留学していた。彼女たちはバブル崩壊直後の卒業だったため、就職難民となった。裕福だった彼女たちは、親の助けで就職難民をのがれ、アメリカ留学をした。私が卒業してから4年が経過していたので、短期の語学留学だった二人はもうすでに帰国してから1年半が経っていた。そして、残りの一人、Kちゃんは3年かかって短大卒の資格をとって帰国したばかりだった。刑事はKちゃんに連絡を取り、会って話を聞かせてもらう機会を作ってくれた。Kちゃんは3年間の留学生活で、8回引越しをしたそうだ。ホームスティから、アパートの間借り。ルームメート。とにかく、住居に関しては問題が多かったと言っていた。そして、「もう二度と勉強はしたくない」とも言っていた。一生分の勉強をしたそうだ。もとから、勉強は好きではなかった。と言った。短大卒のために、それはそれは、すごい量の勉強をしたと言っていた。そして何よりも、彼女の英語はすばらしかった。3年留学して、たくさん勉強をした人の英語だった。ボキャブラリーが豊富で、流れるように「会話」をしていた。彼女は3ヶ月ほど前に帰国したばかりで、最近、職をみつけた。あの当時も職探しは厳しい時期だった。どんな職をみつけたのだろう?とても興味があった。カレッジでは「演劇」の勉強をしたそうだ。ドラマ・俳優・演劇・映画。。。そんな関係の勉強をした。そんな勉強をしたあとには、どんな職業がみつかるのか?純粋に興味があった。彼女は帰国後、駅前留学タイプの英会話学校に面接に行った。採用されたものの、3ヶ月間は神戸の街中でビラ配りをすることが採用条件だったそうだ。だから現在、彼女はビラ配りをしているのだと言った。Kちゃんと話ができてうれしかった。とてもいい刺激になった。そして、短大卒の資格だけでは 帰国後の職探しは難航するであろうという現実も垣間見ることができた。本腰入れてやらんと。。。。夢ばかり見てはいられない。いつもありがとうございます。面白かったら↓ ↓ ↓ をクリックしてください。私のブログにランキングポイントがカウントされます。人気blogランキングへ