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2018.07.04
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
名古屋市南区呼続
名鉄名古屋本線「呼続」駅から、旧東海道の山崎の坂を南に10分程歩く
住宅が密集する狭い道に街道の名残を感じさせます

やがて左に石の鳥居と東海道と彫られた大きな碑が見えて来ます
今回の目的地熊野三社に到着です

社号標と宿駅制定400周年記念碑
松巨嶋、あゆち潟、呼続の謂れが簡潔に書かれています

一の鳥居から参道を進む、直ぐに二の鳥居と右に社が祀られています

呼続台地の高台にありながら、随分と高く積まれた石垣の上に祀られた社
残念ながら社名は分かりませんでした

二の鳥居を過ぎると参道は左に折れます
三の鳥居の先に境内が広がります

鳥居の右に由緒書きと御神木の楠木
樹齢は500年とも云われますが、この巨木が神社の歴史を物語っています

熊野三社
熊野三山は熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社の総称で、この熊野三山を総本社とする神社を指します
御祭神 /  伊邪那美命、速玉之男命、事解男命
創建 / 1558年~1570年(永禄年間)、山崎城主佐久間信盛が城中の守護神として祀った事から始まります、後の1627年(寛永4)に山崎村並びに付近一帯の住民の守護神として現在地に再建された

ここから北に5分程歩くと安泰寺に至ります、そちらが旧山崎城址と云われています

二の鳥居左にある歌碑

三ノ鳥居の脇の狛犬
何だろう、スフィンクスをイメージする顔はとても個性的で印象に残るものがあります
以前どこかで会ったような気もするが・・・・・

見事な枝振りの御神木です、空を覆うように葉が生い茂っています

三ノ鳥居を過ぎた左に手水舎と手水鉢、水は清らかです
手水舎脇の紫の藤に似た花が目にとまる、名前が知りたところです

手水舎の参道を挟んだ向かいが社務所
花の名前も知りたく訪ねて見ましたが生憎不在の様でした
社務所の左に御誓文碑

手洗松巨嶋
「松巨島」と呼ばれるようになった由縁は、昔の熱田方面からこの地を眺めると、この一帯が「松の大きな島」に見えた事から呼ばれるようになったと伝えられ、古い地史にもその名は出てきます
左の手水鉢は、何らかの理由で境内に埋められていたものを1960 年頃に掘り出されたもの、正面に「松巨嶋」と刻まれ、この地が松巨嶋と呼ばれていたことを伝えています

社殿正面からの全体像

社殿前の狛犬
子付、玉付の受け入れやすい容姿をしています

社殿内から本殿

楠木の緑に包まれ、その下に切妻造りの拝殿
緑青の青緑と背景の緑が印象的です

社殿左の山崎稲荷

社前のお狐様、妙に痩せて見えるのは気のせいか?


境内の右に西向きに祀られた浅間社(右)と津島社(左)

社殿右の南に向いて祀られる八王寺社(右)と八幡社(左)
その奥に旧山崎城の掘り跡を名鉄名古屋本線が通ります、境内からは遮断機の音が良く聞こえてきます

熊野三社、斜めからの一枚
御神木の大きさが良くわかります


御神木と社殿全景、台風シーズンは御神木が風を受け止めるはずです
歳が歳だけに心配な絵でもあります

社殿右のおたすけ石、謂れや取り扱い方が良くわかりません
おもかる石、あるいは力石的な感じ??

楠木の古木に着生するシダ(ビロードシダか?)
境内南に隣接する小路の脇にある地蔵堂、紫陽花が供えられていました

小路から地蔵堂の全景
後ろは熊野三社社務所になります
堂内には三体の地蔵が祀られていますが、右側のお地蔵様の表情は当分忘れないでしょう

境内に戻り社殿左から北の小路につながる参道があり、そちらを歩いて見ました
民家の前を細い道が続く、歩く事数分
狭い事に変わりはないのですが若干広い(軽自動車が精いっぱい?)道に出ました
まっすぐ進むと高架を渡り山崎城址に続くのですが
左側の道の先に小さな祠らしき物が目にとまったので向かう事にしました(右側の消火器の先です)

地蔵堂
旧東海道、鎌倉街道等の街道も近い土地柄、周辺でもお地蔵様は良く見かけます
こちらお地蔵様とは全くの初対面
地蔵の左右に元号らしき彫が見えるのですが、コントラストの調整で読めるものと思っていたが
甘かった、どの写真も読み取れませんでした
得意の、後日詳細が分かれば追記する事にします

地蔵堂の先を左に折れると再び旧東海道に出ます
今回はこれで山崎橋方向に向かい帰途に付く事にします
歩いてきて大正解の熊野三社です

熊野三社
住所 / 名古屋市南区呼続2丁目6
アクセス / ​名鉄名古屋本線「呼続」駅から徒歩約10分

地蔵堂 
住所 / 名古屋市南区呼続2丁目2
アクセス / ​熊野三社北側参道から徒歩数分


2020/05

下は新瑞から少し南の呼続2丁目の道筋。
やっほさんのコメントがきっかけで再訪する機会を得た。

それほど月日は経っていないながら光景は大きく移り変わっていました。
以前にあった小さな地蔵堂は姿を消し、ここも移転先が分からないで終わるのか?

通りがかりの方に尋ねたところ「安泰寺に移されたかも」と伺い訪ねて見ました。
安泰寺​本堂左の六地蔵堂を窺うと一つ増え、良く眺めると以前見かけたお地蔵さんがそこに祀られていました。

後日住職に伺うと集合住宅建て替えに伴い安置したもので、以前はTVで取材されたこともあり、元は地元の方の墓石であったらしい、時の移ろいと共にお堂でお祀りし、地蔵として受け継がれてきたそうです。
以前から気になっていた像の左に黒く描かれた「元」についても伺いました。
TV取材の際に映像として分かりやすい様に揮毫に色を付けそれが褪色し現在に至っているようで、元号までは承知していませんとの事。
「前掛け上げてスッキリしたいものですね?」と伺うと、「寺でお付けさせて頂いたものではないけれど、最初と最後に手を合わせ、拝んで頂ければお許ししてくれますよ」とのこと。
すっきりしたいところだけれど、それは今後もやめておこう。すっきりしない事はあってもいい。
このやり取りの中で中央の座像について「元はお墓にあったもので、この中で地蔵様かと聞かれれば一番馴染めない」そうです。

最近昔を思い出しあちらこちら訪れている、訪れた場所の現況が当時と様変わりし、そこにあったものが無くなり、所在も分からない事が時折ある。
短い時の移ろいの中ですら、こうした動きはとても速く寂しい思いが漂うけれど、別の機会に出逢うとそれは嬉しいものがある。





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Last updated  2020.05.06 10:48:14
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