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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
名古屋市熱田区
国道22号線、通称伏見通りの東側に広がる広大な杜が熱田神宮 熱田神宮南交差点角に岐阜、長野に続く国道の起点となる起点標識が建つ 熱田台地の先端にあたる熱田神宮、古代は間近に海岸線が広がっていたが、新田開発等で海岸線は後退し 今では片側5車線の国道が走り面影を感じさせない 熱田神宮正門、今日も参拝客が途切れる事はありません 熱田神宮一の鳥居 創建は113年(景行天皇43)と伝わり、三種の神器の草薙神剣と言われる剣を御神体とする神社です 三種の神器とは、伊勢神宮の八咫鏡、 皇居の賢所の八尺瓊勾玉、熱田神宮の草薙神剣で 皇位継承の印で平成天皇退位の儀式で最近良く耳にしました 天皇ですら実見された事のない謎多き剣です 熱田の杜に包まれた境内には本宮をはじめ別宮一社、摂社八社、末社十九社が祀られ、境外に摂社四社、末社十二社の四十五の社を祀る神々しい空間が広がります 今回訪れたのは境内摂社の一つ「上知我麻神社」 正門の一の鳥居の手前を左に続く参道と鳥居があります、その先に「上知我麻神社」の社殿が窺えます 手水舎で清めを済まし、「上知我麻神社」と境内を共有する熱田神宮別宮の「八剣宮」を参拝します 境内の左に鎮座する八剣宮 始まりは708年(和銅元年)と云われ、建築様式や祭典・神事も全て本宮に準じていると云われます 主祭神は熱田大神、相殿が天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命を祀ります 1575年(天正3)、信長は長篠へ出兵の際社殿の修造、1599年(慶長4)家康は拝殿・回廊・築地の修造を、1668年(貞享3)には德川綱吉が本殿の建替え行うなど武将に信仰されていたようです 八剣というと刀を想像しますが八剣宮の八は弥栄の「弥」から来ていると云われ 弥栄は国がますます栄える事を表しているそうです 熱田神宮は1893年の遷宮でそれまでの尾張造りから伊勢神宮同様の神明造りに様式が変更されています 残念ながら1945年の大戦で被災し再建されています 幾度かの再建を経た八剣宮、拝所前景 八剣宮全景 本宮の参拝客に比べ、こちらを訪れる参拝客は少ない様です 上知我麻神社(カミチカマ) 神明造りの建物の中で唐破風を持つ社殿は尾張造りをイメージする異質な存在 拝殿の左の社は、事代主社「えびす様」、右が大国主社「大黒様」を祀る 右の大国主社前景 左の事代主社 毎年1月5日の初えびすで商売繁盛・家内安全を祈願する参拝客で賑わいます 拝殿から本殿の全景 祭神は乎止與命 知恵授け・商売繁盛に御利益があり、知恵の文殊様として合格祈願の絵馬奉納などで知られています 上知我麻神社があれば下もあります、下知我麻神社は境内の北西にあり 乎止與命の嫁さんである真敷刀俾命を祀る、この距離感の意味するものは・・・・・ 古くはここから少し南の東海道と美濃路が分岐(冒頭の起点標識付近)する追分付近に鎮座していたと云われます 昭和24年に戦後の都市計画に伴い現在地に遷座された様です 元は南区の星の宮にある上下知我麻神社ではないかとも云われるけれど、創建年同様はっきりしません 上知我麻神社由緒書き 拝殿脇には知恵の文殊様に肖ろうと多くの絵馬が掛けられています 八剣宮 創建 / 708年(和銅元年) 祭神 / 熱田大神、天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命 上知我麻神社 創建 / 不明 祭神 / 乎止與命 住所 / 名古屋市熱田区神宮1丁目1-1 アクセス / 市営地下鉄「伝馬町」下車、徒歩で北に10分程 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.04.29 17:59:39
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