|
カテゴリ:神社仏閣・御朱印
名古屋市守山区松坂町『御嶽神社』
東区大曽根駅から街中に専用高架が建てられ、ガイドウェイバスとして見晴らしのいい「ゆとりーとライン」を「白沢渓谷」駅で下車します この先の「小幡緑地」駅からは県道15号線を走る事になります 西方向の松川橋方向の眺め、高架の下を走るのは県道202号線 県道の上に架かる「ひがしやまかどうきょう」を南に渡ると御嶽神社は目の前 橋を越え右手に道路に挟まれ、小島の様に小さな杜かあります ここが御嶽神社、境内の入口を求め右の道から一回り 道路際に傾いた石標 そこには御嶽神社と刻まれ、下には「之より龍・・・」とあります 随分盛られてしまったようですが龍泉寺を指示しています 龍泉寺へは四観音道や、少し北に庄内川の「下津尾の渡し」からも参拝客が訪れていました 明治24年のこの辺りを見て見ます 御嶽神社周辺は南に白沢川が流れ、針葉樹が生い茂った谷筋で、地図上では里道すらありません すぐ近くの城土公園には白沢川に吊り橋が架かり渓谷の雰囲気が漂います 神社西側からの全景、手前に区画整理事業竣工記念碑(1978年) 住宅を回り込み東側の通りに玉垣と社号標があります 通りから境内の眺め、右に行くほど船の舳先の様に狭まっていきます 境内左に静水所、玉垣に隠れ見落としていましたが、清水は張られていません 境内正面に左に祠と右に「餘慶之碑」 祠の中の像が何なのか良くわかりませんが、御嶽神社を訪れると神仏習合色が漂い、様々な仏像や神社を見かけます 「餘慶之碑」の右 ここにも小さな祠と山丸三の紋が刻まれた「移転記念碑」 御嶽講を表すこの紋、山型は御嶽を、○は宇宙を現し、中の三本の線は上から不動明王、中央が大日如来、下が摩利支天を表すとされます 木曽御嶽信仰は、長野県の御嶽山を信仰の対象とし、室町時代後期頃から信仰を集め 古来は麓で百日の修行を経た者しか登拝を許されていなかった 江戸時代に武蔵國の行者・普寛、尾張国春日井郡牛山村の行者・覚明により開かれ、後の行者により全国に広がっていったとされます 庄内川を超えた春日井が覚明生誕の地という事もあり、現在も複数の講が存在する様です 春日井には誕生講として、更に小さな講が存在しているようです 御嶽神社の特徴でもある霊神碑が複数立ち並びます 霊神碑は墓石ではなく「御嶽に生まれ御嶽にかえる」、御嶽講信者が御嶽山に戻る道標として建てられた石碑 霊神の生前は御嶽を崇めた一人の行者であり、先祖との語らい場が霊神碑のある霊場なのかも知れません 中央の霊神碑の前の燈籠の中に小さな地蔵が二体祀られていました その表情はどれもやさしい笑みを浮かべています 境内左の霊神碑、こうした霊神碑は名古屋市千種区の「御嶽神社」、長久手市岩作の「御嶽山」 などでも見る事が出来ます 社号標の建之年度は1975年(昭和50)とあります 先程の「移転記念碑」には 「當山は西方高台絶景の地に鎮座有としも此度、区画整理施行の為当所に移転せしものなり、尚表記連名の氏名は当時誕生講教師なり、協力者、大森、旭大久手、松河戸、安井、味鋺、上飯田、船附町、川村各講中、名古屋市守山区川氏子一同、山下中部土地区画整理組合、大字川講中、昭和四十二年四月建之誕生講」とあります 明治の地図で現在地の西に神社マークはありません(もっとも現在地図にも表記されていませんが) 西側の高台がどこを指しているのか分かりませんが、区画整理竣工が1978年だったので、1967年に区画整理に伴い集められたという事ですが、そこから先は遡れません 区画整理で白沢渓谷の高台に祀られた霊神碑 御嶽を望むには北側が遮られていますが、霊神達が住んだ故郷を一望できるこの地は良い場所かもしれません 神社脇でみかけたキジバト、台風が接近し風が強いせいなのか、人慣れしているのか、逃げようともしない 彼らなら舞い上がれば御嶽も見えるかもしれない 雲はどんどん流されていきます 超大型の台風、大きな被害に至らなければいいのだけれど 2019/08/13 「御嶽神社」 住所 / 名古屋市守山区松坂町3-1 アクセス / ゆとりーとライン大曽根⇒「白沢渓谷」駅下車、県道202号線を西へ徒歩5分程 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.08.14 15:16:58
コメント(0) | コメントを書く
[神社仏閣・御朱印] カテゴリの最新記事
|