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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
「龍源山太清寺」
勝川町2丁目の「秋葉社」前の通りから、東に太清寺山門が間近に見える その昔は小牧街道と多治見に向かう下街道の分岐点、宿場もあり賑わった様です 山門から西に続く道は当時の山門通りの名残りで現在の国道19号線辺りまで続いていたそうです 太清寺山門全景、「東照大権現公由緒地」の表札が目を引きます 右に寺号標、右手奥の建物は阿弥陀堂(十王堂)です 寺の外観からは、近年手が入れられ建物は比較的新しい印象を受けます 山門に掲げられた「龍源山」山号額 山門をくぐり境内右に太清寺の歴史を語る解説板 龍源山太清寺はその昔、醍醐山龍源寺といいました その草創がいつ頃かは不明ですが、山号から推して山城國醍醐寺と深い関わりを持ち、勝川一帯が醍醐寺領の荘園地であった事、醍醐塚といった古い地名が残る事から千年を超える歴史を持つ 1584年(天正12)4月、家康が小牧山から軍勢を率い長久手(小牧・長久手の戦い)に向かう際、龍源寺内の阿弥陀堂で休憩した 家康は庄屋長谷川甚助にこの地の名を尋ねたところ「勝川村」と聞かされ、出陣にあたり「勝川とは縁起がいい」歓んだと云われます 甚助の妻が振舞った牡丹餅を食べようとした家康、その箸が1本折れ表情を曇らせたそうです それを見た甚助は「まさしく天下が一本に成るの吉兆」とフォローしたところ家康は笑顔となり、餅を食べ勝川を超え戦いの場に向かったと云われます 門をくぐると、参道先の正面に寄棟瓦葺の「薬師堂」があります 創建年月は不明で1651年(慶安4)に再建された様で、1924年(明治24)の濃尾地震で倒壊し1911年(大正10)に再建され、今も綺麗な状態を保っています 十字の様に石畳が敷かれ、左が本堂へ、右は阿弥陀堂と南門に続きます 参道左に庫裏と右に本堂が連なります 庭も手入れされ四季折々の木々が植えられています 訪れた時は柿が実り、境内のもみじが少し色付き始めていました 瓦葺の寄棟の「本堂」 緩やかに軒に流れる屋根の傾斜はなかなか優美な趣があります 現在の寺号「龍源山太清寺」は1651年(慶安4)に改めた様です 1837年(天保8)に本堂および阿弥陀堂は台風で被災、1850年(嘉永3)に本堂が再建されます 参道右の「阿弥陀堂(十王堂)」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.11.19 14:19:07
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