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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
10月10日、前日のぐずついた天気から、うってかわってこの日良く晴れ渡った。
久し振りに県営名古屋空港西側を歩いてきました。 写真は西春日井郡豊山町青山神明の神明公園、周辺を徘徊する際に良く利用させてもらっています。 訪れた時は公園西側の駐車場が遺構調査のため閉鎖されており、公園東側に駐車することになる。 期間を見なかったが、調査となるとしばらくは東側に停めるしかなさそうです。 今回最初に訪れるのは小牧市多気東町の坂庭(さかにわ)神社から始まります。 上の左は明治中期、当時西春日井郡多気村だった頃の鎮座地、右はほぼ現在の鎮座地周辺。 中江川の東側で春日井郡豊山町と小牧市の境界があり、今回取り上げる坂庭神社は小牧市になります。 神明公園から坂庭神社までの所要時間は徒歩15分程の位置になります。 古くは熊庄坂場村で、坂庭神社の坂庭はこの辺りをさかにわと呼ばれていた事から坂庭の名がついたと思われます、江戸時代には三明神と呼ばれていたという。 尾張国山田郡の式内社とされ、名古屋市西区上小田井に鎮座する星神社とともに論社とされている。 鎮座地周辺。 名古屋高速の高架が北方向の小牧インターに続き、その下を国道41号線が伸びています。 国道を車で走っていても、この高架により自分の位置や店の位置が良く分からなくなった。 豊山町から歩いてくると、開けた田畑の先に高速の高架と街並みが連なり、そこに杜や大きな樹がポツンと見えます、そうした所は概ね神社か寺、寺社散策にはそうしたものが目印になる。 鎮座地は国道41号線小牧市多紀東町の歩道橋脇が鎮座地になります。 明治中期の地図には既に鳥居の印が描かれており、社地は国道拡幅や高速建設に伴い縮小されているように思われます。 坂庭神社社頭は国道から右に入ったところに南向きに社頭を構え、変形した社地の周囲は玉垣で囲われ、左に「式内 村社 坂庭神社」の社号標が立っています。 境内左に一本の御神木が聳え、神明鳥居の先に石の番塀を構えています。 境内全景。 番塀の先の境内には右に社務所、左が手水舎。 式内 坂庭神社由緒。 「本神社は創建の年代は不詳であるが延喜式神名帳所載(第六十代醍醐天皇の延喜五年制定)の国幤社であり古くは三明神とも言われ国常立命、国狭槌命、天照皇大神の三神を祀る。 又、相殿には津島社十二柱社、稲荷社の神々を祀る この度、国道四十一号線の拡幅により社殿等の改築をはじめ工作物一切の移築が行われ、平成元年(1989)十一月十九日竣工奉祝祭を斎行す」とある。 綺麗な社殿は国道拡幅によるもののようです。 番塀から社殿の眺め、社殿はコンクリート造り。 境内は綺麗に掃き清められ、参拝者を気持ちよく受け入れてくれる。 手水舎の舟形の手水鉢に視線が行きます。 手水鉢は左の船首が波を乗り越えるように上を向く紛れもない舟型。 こうした形の手水鉢は良く見かけますが、全体のバランスが整ったきれいな舟です。 その舟を左舷から両手で抑え込む龍の姿がある。 多気町は舟に纏わる土地柄なんだろうか? 拝殿は銅葺屋根の妻切り平入で、拝殿前で一対の狛犬が守護する。 本殿域右に由緒にある「津島社十二柱社、稲荷社の相殿」祀られています。 子持ち毬持ちでふさふさとした鬣の狛犬。 寄進年は大正14年(1925)のもの、境内の寄進物は大正末期のものが多かった。 拝殿。 五七の桐が神紋と見えます。 拝殿額は「式内坂庭神社」。 拝殿から幣殿、本殿の眺め。 平成元年(1989)に社殿改修されたことから全体的に綺麗に保たれています。 国道歩道側から眺めた社殿の全景。 41号線を名古屋に向け走らせていると、良くみかけるお馴染みの姿かもしれない。 実際に訪れて見ると、広い41号線から一歩市街地に入ると、すれ違い出来ない細い生活道路で駐車余地のない環境。 この日、坂庭神社以外にも何社か参拝しましたが、何れもそうした環境なので歩いて訪れるのが一番いい。 本殿は切妻で3本の鰹木と外削ぎの千木が乗せられています。 多紀東町の歩道橋脇から本殿域左側を眺める。 坂庭神社 創建 / 不明、(延喜式神名帳に山田郡坂庭神社とある) 祭神 / 国常立命、国狭槌命、天照皇大神 境内社 / 津島社十二柱社、稲荷社相殿 所在地 / 小牧市多気東町9 参拝日 / 2023/10/10 神明公園から徒歩 / 西へ15分、約1㌖ 最寄りの神社 / 豊山町青山 八剱神社 等 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.10.19 00:00:29
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