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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
淨專寺 寺号標に刻まれている内容は以下の通りです。 「この地はもと領主徳川公の命により、1800年に津金文左衛門氏奉行となり開拓せられ、甚目寺村新居屋の西光寺より一子を招請し、当地域村立の寺院として創建せられたり、人皆本願念仏の信心に培れ念仏の声今に絶ゆることなき有縁の地なり」と記されています。この寺には、開拓の功労者である津金文左衛門氏の肖像画と分骨が納められています。 津金文左衛門は別名で、本名は津金文左衛門胤臣。 彼は文武に優れており、18世紀後半に幕藩体制が揺らぎ、各藩が財政面で苦境に立たされる中、尾張藩も度重なる風水害や飢饉によって財政赤字が累積していました。 津金文左衛門の死は記録では病死とされています、しかし昭和27年(1952)、戦災都市復興計画に基づき平和公園に墓地移転の際、大光寺(中区門前町)で彼の棺が発掘され、遺体の状況から割腹死とする説もあったようです。 遺体は、同年に飛島村で火葬され、村内の長昌院で改葬法要を行い荼毘に付され、平和公園内の平和堂の西にある大光院墓地に墓碑が建てられました。
境内の鐘楼 伽藍全体が比較的新しく、修復を受け間もないのかもしれません。 淨專寺 創建 / 寛政12年(1800) 宗派 / 真宗大谷派 寺号 / 松林山 淨專寺 本尊 / 阿弥陀如来 所在地 / 名古屋市港区本宮町1-22 公共交通機関アクセス / ・市バス「東海橋」停から南に徒歩5分 ・地下鉄名港線「東海通」から西に徒歩20分 淨專寺前の通りから南の眺め。 すぐ先の右手にあるブロック塀の中に髭題目が建てられています。 正面全景。 三方をブロック塀で囲まれ、その中に写真の髭題目が立っています。 正面に「南無妙法蓮華経」と刻まれ、「法」の字以外の文字の筆端は髭のように延びる独特のもので、その形態から髭題目とも呼ばれるそうです。 光明点書法と呼ばれ、筆端が髭のように延びるのは、日蓮上人の筆跡をまねたものとされ、仏の慈悲が人々に分け隔てなく、平等に届く様を表しているという。 左側面に「南無日蓮大菩薩」と刻まれています。 右側面に「此中巳有如来全身」と経分が刻まれています。 肝心の後方に回り込めず確認していませんが、恐らくこの塔が立てられた年代が刻まれているものと思います。 題目塔は中村区ではよく見かけますが、港区で見かけた記憶はありません。 もっとも港区自体あまり歩いたことがないのですが。 こうした塔は古い街並みや街道を歩いていると目にします、建てられた年代も様々です。 この塔があることから、この狭い道筋は新田開発時の古い道筋なんでしょう。 本宮町の髭題目 所在地 / 名古屋市港区本宮町1 参拝日 / 2024/05/09 関連記事 / 豊幡町 髭題目塔 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.25 00:00:21
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