「DOWMA」6月稽古
大淀コミュニティーセンターにて、「DOWMA」の初稽古。
公演は1年後の作品を、まずは緩やかに月一で、だんだん増やしていく感じで稽古をしていく予定である。
このやり方がこの作品に相応しいと思うからだ。
テキストの思想を身体化する、身体に馴染ませていくには、緩やかな時間が必要なのだ。
話は脱線しますが、
難しい哲学書を何度も読む場合、だんだんと自分なりにわかってくる過程がある。馴染んでくるのだ。
入門書でもよいのだが、
哲学者は、思想に辿り着くための寄り道、壁、苦悶、苦闘をも、伝えたいから、哲学書は難しいのだと思う。
また、そのような理解の過程を辿るのが正しい道であると思う。
「DOWMA」は、名著「ドグラマグラ」の型を借りた師匠北村想の苦闘の思想の書であると自分は理解している。
だからこそ、
擬似的にでも、「思想」の道を歩き、この戯曲の「思想」に辿り着かねばらない。
もちろん、当然のことながら、エンターテインメント作品に。
「教育」からもカテゴリーエラーをさせて示唆をした。
学校で扱われるコトバには、「生活言語」と「学習言語」がある。
児童の言語発達は「生活言語」と「学習言語」の連環作用により、向上する。
戯曲のコトバに血肉をかよわせるとはそういうことだと思う。
これは、言わば、「思想」の道の歩き方である。
とっかかりである。
次回の稽古は7月8日である。