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テーマ:徒然日記(23331)
カテゴリ:無駄話
例えば、穴のあいたブランド物のベルトをした人が、電車で座っている自分の前に立ったとき、ついつい何番目の穴にベルトの尾錠を留めているか気になる。
たいていベルトの穴の数は奇数である。三つか五つがほとんどだ。だから、いずれの場合でも真ん中の穴で留めるのが正しい使い方だと思う。ベルトを作る職人は、そう考えて穴をあけたに違いないと、思う。
ただ、留めるだけなら穴は一つでも、偶数でもよいのだから、奇数であるという美しさに意味がある。ベルトは、ただズボンが落ちないために腰の周りを締め付けるものではないし、複数の穴は痩せたり太ったり、食べ過ぎたりの調節の為にあるのではない、と思いたい。
売られているときは幾分長めになっており、腰の周りに合わせて、切るように出来ている。だからではないが、奇数の中心からはずれた位置でベルトの尾錠を留めている人が前に立つと落ち着かない。それが、高価なブランド物であると余計にそのベルトの持つ美しいバランスが壊されているようで、気になって仕方がない。
「あなたのベルトの留め方、違いますよ」などと声を掛けようものなら、相手はきょとんとするか、余計なお世話だと怒ってしまうか、と思うが。きっと今では、そのまえに変なおっさんだとその場から彼はきっと立ち去るに違いない。もし、電車が混んでいて立ち去れないならば、周囲の人たちと顔を見合わせ、こちらを変人扱いするであろうことは、想像に難くない。だから、黙ったまま、時々そのベルトの尾錠を、本を読みながら垣間見る。そして、相手が先に降りるか、自分が先か、どちらかが降りるまでその思いは続くのである。
その間、高々五分か十分のことである。
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