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テーマ:ネイティブアメリカン(608)
カテゴリ:ネイティブアメリカンの文化
サンダンスは、平原インディアンの儀式だ。
そのサンダンスに用いる木は、ふたまたに分かれていて、中央に大きな木を1本、周りに小さめの木を12本立てるという。 平原というと、どこまでも真平らな大地を想像するけれど、木はたくさん生えているのかな? 例えば、「ジャンピングマウス」の舞台になっているシャイアン族が住んでいる、とされるアメリカ中央部の大平原は、うねるような丘が続いているそうだ。 サンダンス用に、ふたまたに分かれた木をたくさん用意するのは、大変ではなかったのかな? 中央の木を探す、その時点からすでに儀式は始まっているそうだけれど、何か儀式をしてから、選ばれた人達が探しに行くのだろうか。 「ふたまたに分かれた木」は、「人が持つ二面性の矛盾」表しているという。 そして、「人の持つ二面性の矛盾を、ひとつの宇宙とつなげることが重要なんだ」とチーフは教える。 「矛盾を、ひとつの宇宙とつなげること」とは、どういうことなんだろう? 矛盾を、矛盾として、「受け入れる」ということかな? よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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inconsistency ですか?
宇宙も矛盾も理解しようとせず、「悪」と「善」を分けようとせず、繋げて一体になって一緒に存在する事を、navajoworkcamp様が仰る様に、「受け入れる」... のでしょうか? う~~ん、ちょっとまた黙想してまいります。 (2006年06月28日 12時51分48秒)
確かにヒトの中には、善と悪、強さと弱さ、精勤と怠惰、暖かさと冷酷の二律背反は内包されているとは思います。
周囲の12本の木、時計をイメージすると、光の当たる角度で、良い面と悪い面と(重なって見える時)両方が出ているときの3種類の影が出るはずで、時間の流れと共に 一つの個であるはずのヒトでも、必ず良くも悪くも多様性が出る。「ヒトとはそういうものであること」をしっかり認識しなさい、と言う風な、陳腐な想像が掻き立てられました。敵、味方、争いは何時の世も絶えなかったと思うから・・・。 (2006年06月28日 19時52分19秒)
ウーン…。
壮大過ぎて答えが出ませんが…。 宇宙から見ればヒトの矛盾なんて小さいものなんでしょうか…。それともヒトも宇宙上のひとつということかな??? ウーン…。また、教えてください(願) (2006年06月28日 22時54分05秒)
ミナチュさんへ
人もまた宇宙の構成物のひとつである・・・と考えるのでしょうか。 ネイティブアメリカンの人達は、どう考えるのかわかりませんが、私としては小さな人間の中で起きる葛藤や悲しみや喜びは、宇宙に勝るとも劣らぬほど大きいものだと思いますが、どうでしょうね? でも、自然の偉大さの前にいくと、「なあ~んだ、どうってことないことだったんだな~」なんても思いますけどね。 (2006年06月29日 08時13分52秒) |