|
カテゴリ:カテゴリ未分類
I'm at the Wageningen University's Farm of the Future, where I had been expecting to see robots and perhaps, drones flying overhead.
But on a bright blue day project manager Wijnand Sukkel stands in the expansive fields across from the university building with bare trees and of course, windmills in the background, and points at the strips of crops in the fields. He says usually in the Netherlands these would just be filled by a monocrop such as maize or wheat. (BBC News) ***** expansive(発展的な、広範囲の) windmill (風車) ***** 「一冊でわかるオランダ史」(水島治郎著)を読みました。ゴッホ、フェルメール、レンブラントはオランダ人。オランダの面積は九州とほぼ同じ、人口は1750万人、アムステルダムは北海道より北にあるのに1月も氷点下にはならず7月の平均気温は20度を少し上回る程度。国土の40%が農地、2019年は農産物食料の輸出額はアメリカに次ぎ世界第2位。ローマ帝国の時代フランスやベルギーオランダをガリアと呼んでいた。ハンザ同盟、宗教改革、スペインの圧政で80年戦争、1625年戦争が続く中、国際法の父グロティウス(11歳でライデン大学、16歳で弁護士)は「戦争と平和の法」を発表、たとえ戦争の中であっても国家間で守るべきルールを定める必要性を説いた。無神論者スピノザは15年かけて「エチカ」を刊行。世界は神がつくったがオランダはオランダ人がつくったという格言。風車一基で25人分の仕事、漁業の盛んなオランダは船の技術革新が断続的に起こり17世紀には船舶の6割がオランダ製。香辛料を求めてアジアへオランダ東インド会社、チューリップバブル、東アジアをめぐる争い、台湾が中継基地になり、対日外交の幕開け。1652年英蘭戦争が始まり、19世紀初頭まで6度の戦争。1806年ナポレオンの弟ルイが国王になり文化事業に力を入れ科学文学芸術研究所を設立したがナポレオンが率いるフランス軍が西ヨーロッパを制圧しオランダはフランスの一部になり地図から消えオランダは世界に一か所だけ出島にオランダの国旗がはためいていた,1944年ノルマンディー上陸作戦に成功し優位に大戦中は中立方針、西側陣営、欧州統合、毎年5%の経済成長、正社員とパート区別なく同等の賃金オランダモデルなどと興味深い本だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年10月08日 14時23分56秒
コメント(0) | コメントを書く |