幸せの記憶が生きる支えになる
@@@@@@@@ 幸せの 記憶が 生きる支えに なる@@@@@@@@ 人はいつか旅立つ時が来る・・・わかっているけれども、それが突然の事故や災害で訪れたり、病気で亡くなることもある。大切な人がいなくなったグリーフ(悲嘆)は様々な形で現れます。寂しさや孤独感、何も手につかない虚脱感や喪失感…また自分を責めてしまう自己嫌悪や罪悪感など心が安定しません。また、からだもだるい、眠れない、食欲がない、疲れがとれないなどの症状が起こってくることもあります。 大切な人の死は誰もが経験することです。一度経験してしまうと、無かったことにはなりません。立ち直りたい、前のように戻りたいと思う心と、もう会えないという現実の悲嘆から、心は不安定な毎日だと思います。しかしもがきながらも前に進むしかありません。 亡くなった人は、死後も生きている人とつながっています。仏教では、お仏壇、お墓がその接点で、亡き人はお浄土から大切な人を見守り導いて助けてくれる存在となっておられます。だから日日のお給仕やお参り、法事にて供養してあげることが大事です。 レジリエンス(精神的回復力)は、人や状況によって様々です。時間がかかる人もいるでしょう。亡き人への想いの整理がつかない人もいるでしょう。「愛別離苦」という宿命を乗り越えるには、大切な人の死を受け入れていくしかないのです。ときには大泣きすることも必要。ときには許すことも必要です。感情に引きずられて許すことができないこともあるでしょうが、それでも、人を許し自分自身を許すことを学んでいくことが大事です。許すとは、〔現実を受け入れること〕です。 「南無阿弥陀仏」と称える念仏には、滅罪の利益があります。仏さまに許されるということ。葛藤しているそのままの私を受け入れてくださるのです。 死を受け入れ、その現実を受け入れることができてくると、まわりの人の行為やお節介も受け入れられるようになります。友人や仕事仲間などまわりの人との社会的なつながりによって支えられていることもわかります。 大切な人との思い出は心の支えになり、その時の記憶はいつでも幸せを感じさせてくれます。思い出というお守りを支えに、自分を大切にして、これからの人生を味わって生きていくことが、私たちの為すべきことです。別れによる悲しみや苦しみを経験してこそ、生きていくことの尊さがわかります。合掌南無阿弥陀仏専称寺亀山政臣拝