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2008年04月03日
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「西遊記」に、孫悟空と釈迦とのやりとりの場面があります。

天界で暴れ放題の孫悟空は、とうとう釈迦に挑むことになりました。

釈迦が尋ねます。

「お前は、そんなに偉いのか?」

すると、孫悟空は言います。

「おれは多くの術を使えるし、何千里も飛ぶことができる。
 空の果てまでだって飛んで行ける。おれは偉い!」

「では、空の果てまで行ってみせてみよ!」

そこで、孫悟空は雲に乗って、飛んで行きました。

かなりの距離を飛びました。すると、五本の柱に到着します。

「ここが空の果てだな! よし、印をつけておこう!」

孫悟空は柱に筆で印をつけ、小便をひっかけて釈迦の元へ戻って
きて言いました。

「空の果てまで行ってきたぞ! ちゃんと印をつけてきた!」

すると、釈迦は自分の手を出して言いました。

「お前が印をつけたのは、私の指だよ!」

自分は空の果てに行ったと思っていた孫悟空でしたが、所詮、釈迦の
手の中で踊っていただけなのです。

この話は、人生の仕組みを例えた話ではないでしょうか?

孫悟空は、「自我(エゴ)」で、釈迦は、「内なる生命」の例えではない
でしょうか?

自我は、自分が人生を生きている、と思っています。

だから、成功するのも、失敗するのも、自分がやった結果だと思っている
のです。

しかし、実際は、内なる生命が起こしたものなのです。

その方が、自分にとって、ベストだからやっているのです。

だから、どんな最悪な出来事が起きても、それは最悪なのではなく、ベストな
方向へ行くまでのプロセスなのです。

ただ、自我が「最悪な出来事」だと解釈しているだけで、本当は
全能なる生命が起こしたベストな出来事なのです。

だから、時が経てば、必ず、「あの出来事があったから今の自分が
あるんだなぁ!」と実感するときが来るのです。

つまり、孫悟空(自我)は「自分がやっている」と思っていますが、
単に、釈迦(生命)の手の中で暴れているだけだったのです。

孫悟空(自我)がどんなに暴れても、全ては釈迦(生命)の思惑通りに進んで
いるのです。

そのことを、孫悟空と釈迦に例えて話しているように思えてなりません。

「西遊記」に登場する妖怪は、「自我の欲望」に例え、それをひとつひとつ
退治することによって、自我が消え、悟りに到達する、という話のような気
がします。





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最終更新日  2008年04月03日 09時15分03秒
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