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日本を今一度、洗濯いたし申し候

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hitokijin

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2010年10月24日
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 昔は言葉遣いのしつけと言うものはかなり厳しくされていたと聞きます。よく、よそ様の家にお邪魔する際は「本日はお招き下さりありがとうございました」と言うように教えられ、子供が間違えて「お寝巻き下さりありがとうございました」と間違えたと言う笑い話があるほどです。それが、昨今言葉遣いについて子供をしつける親の姿は殆ど見かけません。私はこれは本当に忌々しき事と捉えています。これが、結局親を馬鹿にする子供、ひいては大人を馬鹿にする人を育てていくのです。言葉は人の心を反映し、また人の心を左右する物です。

一つ面白い体験話をしましょう。私はカナダに長らく住んだこともあり、英語を話す機会が多くありました。非常に面白いのは、英語を話した直後に日本語を話そうとする時の頭の切り替えが非常に難しいことでした。英語でプレゼンをする時などは、自信に満ち溢れ、時には傲慢とさえ映るほど、強気に話すことが尊ばれ、また話し手もそう言う風になっていきます。そこで一変して、日本語で話をするとなると、遜った言い回しが不可欠になってきます。「~させて頂く」など、謙遜語を用います。その時の心情は、英語で話す時の気持ちと一変します。その切り替えが非常に難しく感じたことがありました。これは、言葉によって私の心が大きく左右されたことの現われだと解釈しています。即ち、英語で話す時は強気一方の気持ちになり、日本語を話す際は(正しい日本語を使おうと思うと)表現を遜った物にし、相手に気遣いを見せる細やかな気持ちになり、全く正反対の感情に瞬時に切り替えなければならないのです。

 子供達に言葉遣いをしつけることは、その子供の人間性を形成する上で非常に重要です。汚い言葉を連発する人の心が澄んでいると言うことはまずありません。出来たとしても、それは感情のコントロールが巧みに出来ないと無理です。少なくとも、汚い言葉を発している瞬間はその人の心は荒々しくなっています。私はよく、言葉がきついと言われ、反省しています。それは、やはり相手に対して怒りが爆発してそれが言葉にそのまま反映していることと思います。やはり、きつい言葉を発している瞬間は、心が攻撃的になっていることは認めざるを得ません(私が怒る事自体は相手に非がある場合も多くありますが)。

 我々日本人と言う民族は、世界的に見て非常に穏やかで控えめな性格である事は誰も否定しないでしょう。それは、やはり謙遜語と言う表現が日本語に多い事と関係が深いと思います。言葉があって心があるのか、心が先にあって言葉があるのか、そこはどちらであるか答えを出すのは難しいですが、少なくとも無関係ではないでしょう。しかし、昨今日本でも、心の荒廃した人が増えていますが、そう言う人達の言葉遣い荒廃している場合が多いでしょう。一件綺麗な日本語を使っているようでも、言葉の端々にその人の心が表れるものです。昨今、例えば「お世話になっております」と言う一言にしても、昔の人に比べて非常に簡略化され、棒読みな人を多くみかけます。それは相手に対する謝意がまるでなく、形式的に口にしているからだと思います。これは、心の荒廃の一つだと思います。そして、その積み重ねが、疑心暗鬼な社会を作っていくと言っても過言ではありません。社会を良くするにはまず、言葉を正さなければなりません。

 さて、話は子供のしつけに戻ります。私は息子に対し、大人には敬語を用いる様厳しく言い聞かせてきました。そのこともあり、息子の言葉遣いは綺麗だと自負しております。今日、剣道に行った際、他所のお母さんが息子に色々教えて下さったのですが、その際に「知りませんでした」と息子が返事をして、そのお母さんが大変驚かれました。また、小学校でも先生に敬語を使っていることで、先生が大変感動されて、家庭訪問等の際にその話をされています。そして、今時を同じくして息子の通う小学校で言葉遣いをきれいにしようと言う指導が取られ始めていると聞きます。また、時期的にその事と重複して、同じ剣道の道場に通う小学校6年生の女の子が言葉遣いをテーマにスピーチコンテストに出たそうです。周囲が、言葉遣いの重要さに気付き始めた様で、私は非常に喜んでおります。子供達の言葉遣いが綺麗になれば、必然的に大人を尊重するようになります。大人はそれに応えて、子供を指導すれば、社会は本当に一枚岩になれます。リベラル、左翼の人達が「子供の権利」を主張して、大人と子供の対立関係を作ろうとしています。また、人を見た目や言葉遣いなどで判断するなと言ういい加減な親もあまた居ます。こう言う事は、この国、社会にすむ人達を離散させ、国家としての力を削ぐことになるのです。良い国家、社会を作るには、大人と子供が信頼し合い、一体となることが不可欠であり、それを実現する上で、正しい言葉遣いをすることは必要不可欠なのです。






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Last updated  2010年10月24日 23時04分25秒



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