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2008年02月09日
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カテゴリ:映画その他




映画「東京物語」を見た後で、
山田洋次監督の講演があった。

 


松竹に入社当時は、
小津安二郎監督の映画を
かったるい、と思っていたそうだ
(なぜ入社試験を突破できたのだろう)。

東京物語は、
畳30センチ上から固定で撮るシーンが多い。

上下する高さの変化が大きいため、
画面に収めるのが難しく、
そうするためには、
カメラを思い切りひかなければならない、と。
激しい雨や、戦車や、馬などは、出てこない。
それが、松竹大船撮影所の文化だった、と。

小津安二郎監督は、
大店のボンボンだが、
他の監督も、そういう類の人が多く、
下町の粋という文化があったそうな。

一方、東宝の黒澤監督は
力強さがあった。

山田監督は、
映画は、こうじゃなくちゃ、いかん、と
思ったらしい。

東宝の労働争議の際、
松竹で撮った黒澤組には、
希望者が殺到したらしい。

黒澤監督の力強さ
といえば、
「七人の侍」では、
長い望遠で雨の中、
馬がたくさん走る様子を
撮っているシーン。

あるいは、
「羅生門」の
激しく降る雨をみろ、と。

それに対して、
松竹の映画は、
「雨がしとしと、
風がスースーだ」、と
評され、歯がゆく思ったらしい。

しかし、後年、妻に先立たれ、
ひとりで家にいた、
映画「まあだだよ」撮影前の
黒澤監督の家を訪ねた際、
黒澤監督が、テレビで
放映中の「東京物語」を録画しながら
見ていたらしい。



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自分になかったものへのあこがれが
あったのではないか、と。

黒澤監督は、男を描く。
松竹は、女を描き、男は、そのついで。
結局、「まあだだよ」、でも、
女は、ほとんど出てこなかった。

黒澤監督は、
山田監督に、
「君らのような若者は」と
言ったらしい。すでに、60歳を超えていた
山田監督に。
黒澤監督から見れば、
いつまでも、若者なんだな、と
嬉しくも思ったらしい。

そんな黒澤監督のデビュー作は、
1943年の「姿三四郎」。

当時は、映画監督に
ライセンスが発行されており、
内務省、文部省、軍人、監督協会が
「姿三四郎」を見て審議したらしい。

軍人からは、
「ラブシーンが、米英的ではないか」
などと、意見が出たらしい。

ラブシーンと言っても、
男と女が手をつなぐことを
さしていたらしいのだが。

そのときの、監督協会の出席者が
小津安二郎で、
最後に意見を求められた際、
「100点満点でいえば、
130点だ。おめでとう。」
と、言ったそうな。

それで、他の軍人たちも、
何も言えなくなったらしい。

こうして、世界のクロサワが、
誕生したのだ、と。

このほか、
映画「三丁目の夕日」は、
大味だ、と(続三丁目の夕日は、
まだ見ていないらしい)。

松竹では、あのような
雑な撮り方は、できないだろう、と
言った。

そして、あの映画をみて考えるべきは、
あの同時の日本人が何を考えていたのか、
ということ。

なぜ、今、こんなひどい時代に
なってしまったのか。

たとえば、映画でいえば、
昔のように、「東京物語」
「七人の侍」「二十四の瞳」が
大ヒットした時代は、良かった、と。

今のように、ヒットする映画と
評価される映画が違う点が、
なげかわしい、と。

原節子の夫も、
戦死したらしい。

1944年以降の戦死者が多い。
1945年3月の東京大空襲以降の
死者もまた、多い。

終戦の決断を遅らせたのと
同じような事態が、今、日本で
起こっているのではなかろうか。

興味深い、問題提起だった。

語り口は、最初、ぼそぼそ、
かみかみだったが、
後半は、活き活きと話されていた。

質問に対する答えは、
ところどころ、かみかみに
なるけど、真摯に回答されていて、
好感をもった。

小津映画の後継者として、
「寅さん」が位置づけられることも
多いようだが、
あくまで、身体になじんでいる、という
意味で、真似したわけではない、と。

映画「母べえ」は、
黒澤監督と山田監督を結びつけてくれた
スクリプターの野上さんの原作らしい。

畳とちゃぶ台の演出という、
今後は、なくなってしまうかもしれない
手法を見ることができる映画に
仕上がっていることだろう。

山田洋次監督の
反骨精神、松竹大船撮影所の雰囲気、
小津安二郎監督や、
黒澤明監督の武勇伝を聞くことができて、
行ってよかった、と思った。

また、明日。






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最終更新日  2009年03月01日 22時09分22秒
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