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「長い人生の中で、誰でも一度は鬱病になっています。」
と精神科医のコメントがラジオから聞こえてきました。 側に居合わせた友人が、「俺なんか基本的に鬱病だよ」と答え、 もう一人の友人が「何度鬱病になったことだろう・・・」と目を伏せました。 あの時どうやって切り抜けたのだろうか、 どうやって力をつけたのだろうか、 苦しかった時代を思い起こしました。 苦しかったこと以外何も思い出すことはできず、あそこをよく切り抜けたなあ・・・という思いです。 ただ、わたしには、たった一つ、最後に野口体操だけが残されていました。 やり続けて来たからだの動きは、ただただ優しくわたしを受け入れてくれました。 自分をまるごと否定しているように思っていたけれど、 存在そのものまでも否定してはいなかったことを、からだの動きは教えてくれました。 「からだの重さ」に任せてしか動くことの出来ない体操だからでした。 こうやって「からだの重さ」に任せ切っているのは自分を信頼しているからだと思い知ったのでした。 本当に苦しい時はからだに返る、 一番元の元のところである、このからだに返る、 からだの動きがからだを癒し、からだを立ち上がらせてくれる、 確かな感覚でした。 からだの存在を忘れてしまっているかのように見える心療内科に通院する人たちに、 ”自分自身“であるからだ、信頼できるからだの存在を 野口体操を通して思い起こして欲しいと願いました。 今日は、都心の心療内科のデイケアーで野口体操の時間を持ちました。 伝え手の思いを超えて問題はそんなに単純ではありません。 一番大きな問題は、メンバーにはそこまで信頼できるからだになる程 今まで野口体操をやる機会がなかったことです。 もしも学校教育に自分のからだの存在を信頼できる体操があったなら、 どんなに彼らの力になってくれただろうに・・・と思いつつも、 でも最後に残されているのはからだであり、信頼できるからだを獲得して欲しいと願いました。 「こころとからだは一体である。 こころとからだは実際は全体であり、渾然一体の総体である。」(野口三千三) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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