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Oct 30, 2009
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カテゴリ:ニュース
 現在の新潟県出雲崎町出身で、江戸時代後期の僧・歌人の良寛(1758~1831)の短歌「長雨の頃」が、1829年5月に吹き荒れた強風を詠んだものであることが、良寛研究家の冨沢信明・新潟大学名誉教授(67)の研究で分かった。

 良寛の短歌のほとんどは詠まれた時期や対象が不明で、関係者は「極めて貴重な研究」と話している。10月1日発行の「全国良寛会会報」で発表された。

 ◆時期不明だった「長雨の頃」◆

 長雨の頃と題された短歌は、「久方の 風吹き払へ 天つ風 憂(う)き世の民の 心通はば」。民の心が通じるなら、この大風を止めてくれ――という意味だ。

 歌を記した良寛の遺墨はこれまで見つかっていなかったが、弟・山本由之が知人にあてた手紙の中で、良寛の歌として紹介されており、存在は知られていた。由之は、「良寛から来た文の奥に、長雨の頃という短歌があった」と書いている。

 しかし、手紙の日付は12日とあるだけで、正確な時期は不明だった。従来、この歌は1830年秋の大雨を詠んだものと推定されてきた。「長雨」が秋を連想させるほか、新潟県の郷土史に、同年8月に洪水があったと書かれていると誤解されていたためだ。しかし、冨沢さんが郷土史を確認したところ、同年8月の洪水の記録は無かった。

 こうした中、冨沢さんは今年5月に、良寛が由之にあてた直筆の手紙を目にする機会を得た。知人が「東京の古物商から買ったが、解読してほしい」と持ち込んできたもので、縦16センチ、横45センチで掛け軸に張られていた。

 ◆ついに解明◆

 手紙の後半には「長雨の頃」が載っており、由之が「文の奥に短歌があった」と書いたことと一致。6月8日の日付もあったため、冨沢さんは「秋の雨を詠んだのではなく、梅雨の頃に大風を詠んだ歌だろう」とみる。旧暦6月8日は現在の7月下旬にあたり、梅雨の時期だからだ。これで、由之が知人に出した手紙の日付「12日」も6月12日と推定された。

 良寛に5月24日夕の風を詠んだ長歌が残っていることにも、冨沢さんは注目。長岡藩の記録に「1829年5月24日夕方から25日まで大風が続き、民家に被害が出た」と書かれていることから、冨沢さんは、短歌「長雨の頃」と長歌はいずれも、1829年に大きな被害をもたらしたこの強風を詠んだものであるとの見解を示した。

 斎藤信夫・全国良寛会名誉会長(90)は、「良寛の短歌は約1400あると言われるが、詠んだ時期・対象はほとんど書き残されていない。歌人としての良寛を系統的に研究する上で、今回の成果は非常に貴重」と評価している。

(2009年10月27日10時09分 読売新聞)

良寛詩集

良寛





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Last updated  Oct 30, 2009 11:15:50 PM
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