カテゴリ:本の感想(海外の作家)
ウンベルト・エーコ(中島英昭訳)『薔薇の名前(上)』 Umbert Eco, Il Nome della Rosa ~東京創元社~ 1327年、イタリアのとあるベネディクト会修道院に、ベネディクト会見習修道士アドソと、その師フランチェスコ会修道士バスカヴィルのウィリアムが訪れた。とき、教皇庁がアヴィニョンに移されており、皇帝と教皇は対立、フランチェスコ会内部の分裂、それをめぐる争いと、情勢は混乱していた。二人が訪れた修道院は、その混乱をおさえる役割を果たすと考えられていたのだが。 二人が訪れるすぐ前に、事件が起こっていた。修道士の一人が転落死したという。ウィリアムは、この事件を解決するよう、修道院長アッボーネに依頼された。 その修道院で、重要な役割を果たす建物。一階は厨房、二階は写字室(スクリプトーリウム)、三階は文書館になっていた。文書館には、館長以外は誰も立ち入ってはならないと命じられていた。 盲目の老修道士ホルヘ。彼とウィリアムは、「笑い」をめぐって論争する。 ウィリアムは、院長や知人ウベルティーノと、異端について議論する。 アドソは、どこの国の言葉でもありどこの国の言葉でもない言葉を話すサルヴァトーレの生い立ちを聞き、小兄弟派の様子を知る。また、小兄弟派、その代表とされるドルチーノについて、ウベルティーノらの話を聞く。 事件は、最初の修道士の転落死にとどまらなかった。二人が到着してから、また一人の修道士が死んだ。血のためられた甕の中に、逆さにつっこまれていた。 院長や館長らのかたくなな態度から、文書館に秘密がある、と考えるウィリアム。しかし、作業は順調には進まなかった。 いやはや、一日で下巻まで読む予定でしたが、読むのにずいぶん頭を使ったのもあり、時間がかかりました。それで、そもそもペースを落として休み休み読むことにしたわけですが。 時代は、私が専門に勉強している時代から1世紀近くくだった14世紀初頭。舞台はイタリアのベネディクト会修道院。 先日、『薔薇の名前』のビデオを観た感想として記事を書いたときに、ベネディクト会とフランチェスコ会については簡単に書いた…と思ったのですが、読み返すと、服の色だけですね。 ベネディクト会は、6世紀前半、イタリアのモンテ・カシノに修道院を開いたベネディクトゥスの戒律に基づいて生活する修道会で、その使命は「祈り、働」くことでした。また、修道士は、「清貧、貞潔、従順」の誓いをたてました。次第に典礼(祈り)の役割・時間が増し、また清貧の理想に反するように、修道院を華美な装飾で飾り立てたりするようになります。これに対しては、同じくベネディクト戒律に従うシトー会が反対していくようになるのですが、これはまた別の話。 フランシェスコ会について。12世紀末にアッシジのフランチェスコが、彼は富裕な商人層の生まれでしたが、その財を投げ捨て、清貧の生活を送るようになります。そして説教をして回るのですが、彼のまわりに集まった人々でもって、フランチェスコ会が作られていくことになります。こちらは、修道院の中で典礼に捧げることを主な職務とするのではなく、托鉢で生計をたて、民衆に説教することが主な職務でした。本書で勉強になった部分もあるのですが、ベネディクト会が「笑い」に否定的であるのに対して、フランチェスコ会は「笑い」に肯定的なようですね。映画の感想でも書きましたが、「笑い」をめぐる議論は興味深かったです。 本書は、アドソが、この事件の後、老いてから回想しながら書いた手記、という体裁です。ウィリアムらの台詞は、中世の文献(の和訳)を読んでいるような気分になりました。すらすらと先学の言葉をそらんじ、自分の見解を説明していく。私が主に勉強している12世紀末から13世紀半ばの人々は、まさに彼らの先学であるわけでして、知っているマイナーな人名が出てくるとちょっとテンションが上がりましたが、同時に自分の勉強不足を痛感します。明日からさっそく勉強をはじめますが、がんばらなきゃ…。 本書の最後の方で、異端についての議論が展開されます。非常に興味深いです。説教、異端、マイノリティ、大衆の信仰、利害関係。いろいろ、今後勉強をする際に心にとめておきたい問題関心ができ、本当に勉強になりました。下巻を読むのは少し先になりそうですが、楽しみです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.01.01 22:23:17
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