カテゴリ:西洋史関連(論文紹介)
Michel Pastoureau, "Le sacre du lion. Comment le bestiaire medieval s'est donne un roi"
dans Michel Pastoureau, Une histoire symbolique du Moyen Age occidental, Seuil, 2004, pp. 49-64. ミシェル・パストゥロー『西洋中世の象徴の歴史』より、「ライオンの聖別式―いかに中世の動物誌は王をいだいたか」を紹介します。なお、本稿の基となっている論文の一つ、「動物の王は何か」については、既に紹介したことがあります。その記事はこちらです。 いたるところにいるライオン 西ヨーロッパでは、早くから野生のライオンは姿を消していました。ローマの闘技場でライオンが使われたそうですが、それは北アフリカや小アジアから運んできたといいます。とまれ、中世の人々も、生きたライオンを見ることができました。見世物師が引き連れるライオンと、動物園です。 中世の動物園は、権力の印でした。王、大領主をはじめ、13世紀以降には、都市、さらには富裕な高位聖職者も、動物園をもつことになります。その主要な目的は、大衆の好奇心を満たすということよりも、権力を誇示することでした。自分は、異国の動物を買い、養い、さらには交換することができるのだ、ということを示すわけです。この意味で、全ての動物園は「宝」であったといいます。 動物園の動物は、時代によって変化が見られます。初期中世には熊、イノシシ、ライオンが優位ですが、盛期中世(本文では封建時代epoque feodale)には、特にライオンの地位が向上します。後期中世には、異国の動物が人気ということで、北欧の動物としてセイウチ、ヘラジカなど、アジアの動物として豹、ラクダ、アフリカの動物として、ゾウ、猿、ヒトコブラクダなどが好まれたようです。 ライオンは、図像や彫刻でもしばしば描かれました。教会の彫刻にも多いそうです。 紋章の動物誌 ライオンの人気は固有名詞にも見られます。洗礼名としてLeo, Leonardusなど、姓としてLionnardなど。有名人の名前としては、英王リチャード獅子心王などがあります。 しかし、ライオンが最も多く見られるのは紋章です。紋章の15%に描かれ、その次に描かれる動物(鷲)は3%もないといいます。ライオンの優位はいたるところで見られますが、若干の地理的・年代的ニュアンスがあります。地理についていえば、フランドル地方、低地地方では多く、アルプス地方では少ないといいます。 12世紀後半には、ライオンを描いた盾は、キリスト教徒の盾となります。ドイツは、しばらくライオンの優勢に抵抗していて、ここではイノシシを描いた盾が文学上の英雄に割り当てられていたそうですが、次第に、ライオンの盾を取り入れることになります。 三つの遺産 この節では、三つの伝統的文化におけるライオンの位置を見ます。 (1)聖書。聖書のライオンは両義的です。悪いライオンのイメージとして、たとえばペトロの手紙一5章8節「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」があります。良いイメージとしては、ヨハネの黙示録5章5節「…ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので…」があります。 (2)ギリシア・ローマ。この文化は、ライオンに優位性を認めますが、まだそれを「動物の王」とはいいません。6世紀、セビーリャのイシドルスが、ライオンを動物の王とみなしたのが最初期だそうです。 (3)「蛮族」(ゲルマン、ケルト)。まず、ケルトは、キリスト教が入ってくるまでライオンを知らなかったそうです。そこでは、動物の王は熊でした。他方ゲルマンは、一種のヴァイキングが中東と接触しており、ライオンの彫刻を輸入していました。ライオンのたてがみのため、彼らはライオンに価値を認めます。というのも、長く豊かな髪が、権力の印だったからです。とはいえ、その象徴の中で、ライオンは大きな位置を占めてはいませんでした。 レオパール(豹)の誕生 ライオンの両義性は、初期中世にも見られます。それが悪魔のような動物だと考える著作家がいる一方で、キリストのような動物だと考える著作家もいました。やがて、ラテン語の動物誌では、ライオンが「あらゆる野獣の王rex omnium bestiarum」とされ、 13世紀の著作家ははっきり「動物の王rex animalium」と言っているそうです。 また、ライオンはキリスト教的に重要な動物になります。たとえば、ライオンが打ち破った敵を生かしておくことは、悔い改めた罪人を生かしておく主になぞらえられたり、といった風に。 ライオンがこのように肯定的な動物となると、その否定的な面をどうするか、という問題が起こります。そこで、レオパール(豹。ただし、現実の豹とは無関係)という、若干ライオンと違う図像が生まれることになります。レオパールは、顔が正面を向いて、体は横向き。ライオンは、顔も体も横向きの図像で示されます。図像において、正面を向いた顔というのは、軽蔑的な意味合いを持ったというのです。 レオパールは英国の紋章に描かれていますが、そのエピソードについては前掲論文「動物の王は何か」の記事にゆずりたいと思います。 ノアの箱船 ノアの箱船の図像には、多くの動物が描かれています。聖書(創世記6章19-21節)には、具体的な動物の名前は記されていないため、画家たちには自由に動物を選択する余地がありました。その図像は多くありますが、全てにライオンが描かれているといいます。また、動物たちが箱船に乗ろうとする、あるいは箱船から出ようとする絵には、動物たちの行列が描かれていますが、それは動物のヒエラルキーを示してくれます。まず、熊かライオン。11-12世紀からは、ライオンがトップになります。次いで、鹿、イノシシなど大物猟銃。次いで、家畜。最後に、小さな動物、場合によってはネズミや蛇も続きます。 13世紀になると、ゾウ、ラクダ、一角獣、ドラゴンなども描かれるようになるとか。なお、この時期には馬も描かれるようになります。馬は、動物よりも人間に近いと考えられていたのですが、この時期になると、動物に近い存在として考えられるようになったとか。 権威の墜ちた熊 ケルト・ゲルマン的ヨーロッパの動物の王は熊でした。古くから、北半球で熊の信仰が見られ、その後も、熊は口頭伝承の動物という位置づけにあるそうです。熊は、女性を襲う毛深い動物、あるいは「野人」であると同時に、森の王だともいいます。このように、熊には獣性と、高貴さの二つの性質が見られていました。それが、11世紀頃から、ラテン的ヨーロッパのライオンが動物の王となるには、教会の働きが重要だったといいます。熊は「異教徒」の信仰の対象でもあったので、教会はなんとかその価値を落とそうとします。そのとき、三つの手続きがありました。 (1)熊を悪魔のような動物とする。たとえば、熊に多くの悪徳を結びつけます。 (2)熊をかいならす。多くの聖人伝の中で、聖人がいかに熊を倒し、あるいは飼い慣らしたかということが描かれていることが紹介されます。 (3)熊を笑いものにする。教会は、熊を連れた見世物師に反対しなかったといいます。こうして、かつての高貴な動物・熊は、鎖でつながれた見世物の動物となります。 本稿の最後は、12-13世紀に、ライオンが決定的に動物の王となったことを繰り返しています。 * * * こちらも面白い論文でした。最初の方に見世物の話が出ていますが、熊の話でまた戻ってきて、うまいと思いました。ただ、最後の節の三つの手続きは、想像の上での作業と現実の上での態度が語られていて、特に(3)の話にはどれだけ教会の動きが指摘できるのか若干疑問ではあります。 なお、中世の動物園については、(特に再読していませんが)池上俊一「ヨーロッパ中世の動物園と動物裁判」『歴史学研究』595、1989年、33-48頁が参考になると思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.12 18:48:28
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