庄子大亮『アトランティス=ムーの系譜学―<失われた大陸>が映す近代日本―』
~講談社選書メチエ、2022年~
西洋古代史・神話研究者の庄子先生による、アトランティスやムー大陸などの「失われた大陸」がどのようにイメージされたか、そしてそれが明治以降の日本でどのように受容され、利用され、再生産されたかを論じる興味深い1冊です。
本書の構成は次のとおりです。
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はじめに
序章 「失われた大陸」について問う理由
第I章 アトランティスの由来と継承
第II章 アトランティスからレムリア、ムー大陸へ
第III章 失われた大陸、日本へ―1930年代
第IV章 戦前のムー大陸言説―1940年代
第V章 戦後の継承―1950-60年代
第VI章 神話希求と大災害―1970-80年代
第VII章 浮上し続ける神話―1990年代以降
最終章 なぜ語られ続けるのか
註
あとがき
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第I~II章で本書の前段として、アトランティス、レムリア、ムーの西洋圏を中心とした由来と継承を論じ、第III章以下で、明治以降の日本での需要と継承の状況を時系列で描く構成です。
まず、「はじめに」で、太平洋戦争中に、軍の高官もからんで、ムー大陸についての米国人の著作が翻訳され、「ムー大陸に栄えた帝国の支配権や威光を受け継ぐのは日本である」と唱える者たちがいた(6-7頁)という興味深い事例が紹介されます。著者も記すとおり、敵国の書物をわざわざ訳すという驚くべき事態が生まれた背景は何だったのかと、ぐっと本書のテーマに引き込まれました。
第I章では、アトランティスの情報源として、プラトンが国家論を展開する『ティマイオス』と『クリティアス』という書物が紹介されます。その具体的な描写が紹介されるとともに、プラトンの執筆意図、そしてそれがいかに解釈されてきたか(実在したのか、実在したならばどこだったのか)といった点が論じられます。
第II章は、インド洋にあったとされるレムリア、そして太平洋にあったとされるムー大陸(アトランティスも含め、これら3つの大陸は混同されることがあります)についての諸説が紹介されます。
第III章以下は日本での受容と継承で、個人的には第V章でのウルトラマンへの言及(第19話「悪魔はふたたび」。本書では言及がありませんが、登場する怪獣はアボラスとバニラ)や、第VII章での『ふしぎの海のナディア』への言及が嬉しかったです(放映時、『ナディア』の最終回を見逃したのがずっと心残りでしたが、いま、第1話から少しずつ観ています)。もちろん、雑誌『ムー』への言及もあります(一度くらい読んだことがあるか…)。
全体を通じてざっとかみ砕けば、「失われた大陸」にまつわる言説やその背景として、西洋=白人優位の思想(「未開」のアメリカや太平洋の島々に、こんな文明があったはずがない)や、「はじめに」で紹介されるエピソードのように、自国の優位性を示すための利用といった考えがあった、ということが読み取れます。
また、津波や大地震など、実際に起こった大災害の記憶とリンクさせられる、という点も指摘されます。「失われた大陸」が、語られるとおりに存在したかというと疑わしいが、その伝説には大災害など起こりうることも語られている、というのですね。
第III章以下の紹介はほとんどできず、特撮やアニメへの言及しかできませんでしたが、このように多くの映画やアニメ、マンガなども紹介され、いかに「失われた大陸」が継承されているかが綿密に論じられます。その他、大陸移動説など、自然科学の知見も豊富に紹介されており、興味深いエピソードが多くあります。
順番は前後しますが、本書で最も重要と思われたのは序章の問題提起です。本書では、オカルトや「偽史」(事実かどうかの検証に対して開かれていないようなフィクション的物語・言論であるとか、客観的な論拠を伴わない歴史解釈などが、ある人々にとって歴史的事実のごとく提示されていたり信じられていたりする場合の、その言論や歴史的解釈など。21頁)も多く紹介されます。重要なのは、その根拠・客観性を問うことであり、また本書では、なぜその「偽史」が生み出されたのかという、背景まで考察されていて、知的興奮にあふれています。
欲を言えば、索引があるともっと参照しやすいと思いますが、これはないものねだりと承知しています。
ともあれ、非常に面白い1冊です。良い読書体験でした。
(2023.04.02読了)
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