カテゴリ:創作
導かれるように、彼は歩く。まるで、そこに獲物がいることを知っているかのように。 巨大な体躯。圧倒的な怪力。痛みを知らない神経。全ては、ただ一つの目的のため。簡単で、単純な、暴力のため。 正義は無い。悪ですらない。楽しみを感じるためだけに行動する、何よりも純粋な魂は、血と殺戮を求め、歩く。 湖には、まるで人気がなかった。 彼女の名前を大声で叫んでも、聞こえるのはざわざわと風に揺れる木々の音だけだ。彼女の性格からして、俺たちをからかっていると言う可能性もあるけど、あのときの溺れ方はそのようには見えなかったし、からかっているのだとしたら悪ふざけが過ぎる。いくらなんでも、ここまで迷惑をかけるような女ではないはずだ。 「からかわれているか、行き違いになったか、それとも……」 「それともなんだよ! 変なことを言うんじゃないよ!」 この筋肉質男は、いつも冷静なことを言う。冷静が過ぎて、人の気分を悪くしていることに気づかないのだ。デリカシーのないバカに、イライラをぶつけるように食いかかる。 「からかってなんかいないし、もしもなんてありえない! 絶対無事だって信じないと、探せるわけないだろ! しっかり探せよ!」 「そうよ。きっと無事よ。自力で上がって、そう、きっと道に迷っているんだわ! 彼女、意外と方向音痴だから」 ウェーブをかけた黒髪を不安そうにいじりながら、それでも精一杯の明るさで、言い聞かせるように叫ぶ。この子は本当にいい子だ。僕らより年下なのに、僕らよりずっとしっかりしている。 「……そうだな。違う場所に上がって、そこからコテージを目指しているのかもしれない。ここから上がったなら、すれ違うはずだからな。いったん、戻ってみるのも良いかもしれない」 「でも、大丈夫か?まだ湖にいたら、それこそ本当に……」 自分で言ってゾッとした。その先の言葉は紡げない。言えば、何かが終わってしまう気がしたのだ。彼女が溺れてから、既に30分。まだ水に浸かっているとすれば。その上で何の返事も聞こえないのならば……。 「正直、まだ湖を漂っているとは思えない。いたとすれば、おそらくはもう死んでいる。生きていることを信じるならば、湖にはいないと考えるべきだろう」 俺の越えてはならない一線を、この男は軽く踏み越える。言っていることはどうしようもなく正しいのが、さらに腹立たしい。 「でも、コテージには人がいるから私たちが行く必要はないわ。だったら、湖の周りを探してもいいんじゃないかしら」 確かに、彼女が生きているとすれば、それ以外可能性はないだろう。言いたいことは良く分かる。だが、この違和感はなんだ? ぐるりと辺りを見回す。何か引っかかるのだ。あるべきものがない気がする。いや、そうか! 「待て待て! 服だ! 服がないんだ!」 服がないということは、彼女がここから上がって服を着たということだ。ここからコテージまでは一本道なので、コテージに向かったということはありえない。大体、コテージまでは俺が全力で走っても10分以上はかかるのだ。きっと、体力を消耗した彼女は自力でコテージまで戻ることを諦め、この近くで休んでいるのだ。 この素晴らしい考えを二人に聞かせ、最後にこう締めくくった。 「この辺りには、きこり小屋があるだろ。きっと、彼女はそこだよ! ほら、風も強くなっているから、風邪を引いてしまうと考えたんだ!」 決まった。なんと隙の無い論理だ。己の頭の良さに惚れ惚れする。しかし、二人はお気に召さない様子だ。こんなシャーロック張りの名推理の、どこが気に食わないというのか。 「彼女方向音痴だから、小屋を探そうとは思わない気がするわ……」 「服だって、風で飛ばされたのかもしれない。それだけでこの辺りにいると思うのは早決だ」 二人がかりで切り捨てられ、顔から火の出るような思いになる。ちくしょう。こっちが考えに考えた推理を一蹴しやがって。 「そ、そんなの分からないじゃないか! 俺の言ったとおりだって可能性もあるだろ!」 「……確かにその通りだな。山の中も調べるべきか。二手に分かれたほうがいいな」 本当に頭にくる。その考えを出したのは俺だろ? 俺の手柄だろ? なんでそんな態度を少しも出さないんだ。少しぐらい感謝しろよ。上から見てんじゃねえよ。 心の奥にしまってあった感情が爆発しそうになる。いい奴ではある。楽しい奴でもある。だが、好きではない。5年もの間付き合ってきたのに、いまだにこいつへの苦手意識は抜けない。 「じゃあ、分担は……」 「いい。俺が一人で山に行く。君らは湖を見るなり、コテージに戻るなりすればいい」 半ば吐き捨てるように言い、歩き出す。俺の雰囲気の変化を感じたのか、彼女が怪訝そうに見るが、無視して歩き続けた。イラついてることは分かっている。だから、一人で頭を冷やしたいのだ。 「勝手にされると困るんだがな。一人行方が知れないことは確かだし、もう少し慎重に……」 なのに、こいつは少し距離を置くことすら許さない。 「うるせえ!俺にだって俺の考えがあるんだよ!大体、手分けするんだったらこれ以上話すこともないだろ!俺は山に行くから、お前らは勝手にしろ!」 「ちょっと、冷静になりましょうよ。不安のなのは分かるけど……」 非難する声から逃げるように、思い切り駆け出した。呼び止める声が聞こえてきたが、振り向かず走り続けた。 全力で走ってやっと一息ついた頃、溺れた彼女の安否などまるで気にしていなかった自分に気づき、言いようの無い自己嫌悪が襲ってきた。 寂れたきこり小屋の中に入った男が湖で逃がした男だと気がついたとき、またあの感覚が湧き上がってきた。熱く燃えさかるようで極上に甘い、生きていることを実感できるこの感覚。ナタを握る手にも力を込め、気取られないように注意深く小屋へ近づいていく。 窓から覗き込む。男は俯きながら座っている。このまま踏み込めば、すぐに気づかれてしまうだろう。それではいけない。獲物はまだ二人も残っているのだ。逃げ出されれば面倒なことになる。追いつく自信はあるが、少しの可能性も残したくない。 足音を立てずにドアのほうへ回り込み、少し揺らす。誰かいるのか?と声はするが、向かってくる様子はない。風か何かの音だと思っているようだ。 少ししてから、もう一度ドアを揺らす。今度は気になったようで、足音を立てながらドアに向かってくる。すかさずドアの前を離れ、物陰に隠れる。男はドアの前から辺りを見回し、また小屋の中へと入っていった。まだ足りなかったようだ。 戻ってからしばらくして、今度は思い切りドアを開けた。駆け足でドアに向かう足音を確認し、小屋を回りこむ。辺りを調べるためにドアから出た男を尻目に、すかさず窓から入り込んだ。 ドアのすぐ横へ行く。外からは死角の場所だ。中に入らない限り、見えることはない。ナタを握りなおし、高鳴る胸を押さえつける。ああ、至極の時が近づいているのだ。 男の頭が見えた瞬間、腕を思い切り振り下ろした。男は瞬間私を見て、驚愕の悲鳴があがる。ナタが頭に突き刺さるまでの時間が、ひどくスローに思えた。 導かれるように額に突き刺さる凶器を、何が起こっているのかわからないという風に目を丸くして凝視する男。しばらく硬直した後、白目を剥き仰向けに勢いよく倒れた。とろとろと静かに流れる赤黒い血を見て、私の中の真っ黒い熱がますます高まっていく。 後、二人……。 最後の二人には、今までとは比べ物にならない恐怖を与えたい。 頭からナタを抜く。飛び散る鮮血も意に介さない。これからの楽しみを考えれば、この程度はたいしたことはないのだ。 大きく重いナタを握りなおし、横たわる骸の首目掛けてゆっくりと振り下ろした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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