にゃあ君、膝にちょこんと乗る
7月10日。朝、出勤時間を遅らせ、水を抜いてもらうために病院へ。三日に一度になってから四回目の水抜きだ。こんなに通院しても、診察が終わると男の先生に対してだけにゃあ君は唸る。男らしいにゃあ君としては、「恩は受けたが服従したわけではないぞ。」とでも言いたいのだろうか。
にゃあ君の病状は悪化している。仕事をしていても気が気ではない。にゃあ君を独りで逝かせることはできない。最後の時間は一緒に過ごしたい。時期をみて仕事は辞めるつもりでいた。
夕方鍵を開け、いつものようににゃあ君の名前を呼びながらリビングに入る。にゃあ君の姿を捜す。にゃあ君は椅子の陰で寝たままだ。朝、病院で水を抜いてもらったばかりなので、呼吸は大丈夫そうだ。しばらく添い寝をして、首のあたりを撫でてやった。
その日はほとんど食欲がなく、ウェットタイプのご飯もドライフードも受け付けない。何か口に入れて体力をつけなければならない。ヨーグルトをスプーンにとって近づけると、少し舐めた。
夜になってからゆで卵を作り、刻んで口元にもっていくと、僅かながら食べた。その後はいつもどおりの食後の団欒。体力が弱まっているので、あまり抱き上げないようにしていた。
10時近くになり、にゃあ君の顔つきが良くなってきたので膝の上に抱き上げ、ドライフードを小さく割って何粒か口に入れてやった。5、6粒食べ、水も飲んだ。その後にゃあ君は膝から下り、絨毯の上でゴロンとしていたが、やがて起き上がって近付いてくると、自分から膝の上に飛び乗った。そしてしばらく抱かれていた。
「にゃあ君、そばに居てくれるの?」
最近は膝の上に載せても、すぐ下りてしまうことが多かったのだが、この日は細い腕でギュッとしがみ付いてきた。
しばらくすると、にゃあ君が上体を起こす。もう膝から下りるのかと思ったが、膝の上に乗ったまま前足を伸ばしてきちんとお座りをし、じっと私の目を見つめる。いつもと違って訴えかけるような眼差しだ。あの、とびっきり可愛い真ん丸目で、見つめてくる。
「にゃあ君、ママはにゃあ君と一緒でとっても幸せだよ。」
そして優しく抱きしめた。やがてにゃあ君は私の膝から、隣のソファーに座っている姉の膝へと移って行き、しばらくそこで抱かれていた。
ごめんね、にゃあ君
7月11日。にゃ君が枕元でいつものように「にゃあ」と鳴くので目が覚める。昨夜は全く元気がなかったので心配したが、にゃあ君の姿を見て一安心。ご飯を食べた形跡はない。刻んだゆで卵はお皿の端に寄っていたので、少しは口にしたらしい。私が近寄って行くと、まっすぐガラス戸に近付き、「開けて」のお座り。昨夜のことがあったので、出すのはためらわれた。起きてきた姉に
「にゃあ君出たがってるけど、どうしよう。」
と聞くと、
「出たがってるんだから、出してやれば。」
という。不安に駆られながらもガラス戸を開けてやる。にゃあ君の意思を尊重するのが一番だ。
今朝のにゃあ君はいつもと比べ、動作がゆっくりだ。尻尾をピンと立て、テラスから芝生へと歩いて行く。しばらく芝生の中程に座り込んで柵の外を眺めていたが、やがて柵の間から専用庭の外へ出る。再びそこでお座りをする。いつものように嗅ぎ回らず、じっと通りを見つめている。
しばらくしてまた動き出す。いつもは軽々飛び上がるコンクリート塀だが、一度ずり落ちそうになりながら、辛うじてジャンプ。植え込みへと下り立ち、そのまま南側へとゆっくり歩いて行く。植え込みのこんもりとした葉陰に、にゃあ君の姿が隠れた。今日はどこへお出掛けだろう。予報では暑くなると言っていた。すぐに戻って来るといいけれど・・・・。
結局、それが元気なにゃあ君の最後の姿となった。
いつものお昼寝の場所で眠るように逝ってしまったにゃあ君。短い命を精一杯生きたにゃあ君。今頃、天国の青々とした芝生の上で、体を丸めて夢を見ているのだろうか。
共に病気と闘った最後の数週間。にゃあ君につらい思いをさせてしまった。
ごめんね、にゃあ君、助けてあげられなくて。
最後の晩の、にゃあ君の姿が蘇る。にゃあ君にはわかっていたのだ。
カメラを向けると、まっすぐレンズを見つめ、ポーズをとってくれたにゃあ君。こんな日が来るのを予期していたのだろうか。
あどけなさを残す青年期のにゃあ君。
栄養たっぷり、プクプクしたにゃあ君。
眠りを妨げられ、不機嫌そうに薄目を開けたにゃあ君・・・・。
どれも皆愛くるしい。
お気に入りの写真を幾つか選び、額に入れた。
ねえ、にゃあ君、これから私はどうしたらいいんだろう。
(完)