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2009年03月18日
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カテゴリ:今日の写真から
NHKの朝の連続ドラマ「だんだん」も来週で最終回となる。

島根県と京都を舞台にしての双子の物語。
その中で京都祇園の綺麗な舞妓さん姿を何度となく拝見した。

新潟もかつては京都の次ぐ新潟芸妓という評判の時代もあったそうであるが、いまは残念ながら京都の舞妓さんの足下にも及ばない状態かもしれない。
規模が全然違う。

でも、最近はもう一度昔のように華やかさを復活させようという動きもあるようだ。
だから年に何回かあるイベントにも新潟芸妓の出番がある。
先日あった「にいがた酒の陣」でも連日出演してくれている。

こんなこともネット上に載っている。

「新潟美人」という言葉は昔から知られており、肌のきめが細かく色白な女性が多いからと言われます。しかし、もとは新潟芸妓(にいがたげいぎ)をそう呼んだのが始まりとされています。

新潟芸妓の起こりは江戸時代。昭和9年発行の新潟市史によれば天保年間(1830~1843年)に入って、唄や踊りの芸でお座敷に出る女性が職業として確立されたといわれます。信濃川と阿賀野川を利用し、遠くは会津(福島県)まで物資を輸送できる舟運網を持った新潟湊は北前船の最大の寄港地として栄え、商人や港で働く人たちでにぎわった町でした。
例年3月18日に行われていた白山神社の祭礼では、芸妓衆が華美を競うように列をなして参詣するのが恒例となっており、長岡藩から何度戒めが出されてもやめることはなかったそうです。
当時の新潟町は長岡藩領でしたが、1843年には天領となって幕末を迎えます。


こうやって、身近に眺められるのもいいものだ。

今月14日に掲載した私のツーショット写真を自慢していると、「あまり鼻の下を長くしていると~」怒ってる妻からお咎めがあるのでホドホドにしながら「やっぱりお前(妻のこと)が一番だ」と言い直すのであります(爆笑)。

新潟芸妓1

新潟芸妓2







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最終更新日  2009年03月20日 06時04分50秒
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