部員のひとりひとりが、選ばれた詩について、コメントを述べてゆきます。
「燃えてゆく靴が、かわいそうになってきて、泣いているようにみえる.........そのままのすなおな感情が表現されていて、心打たれました。」
これは5年生の女の子のコメントです。他の部員も、女子が多かったのですが、同じようなコメントをいただきました。
ところが、クラブの顧問の先生は、みんなのコメントとはうらはらに、
「私は、この『靴が泣いているようだ』という表現は、いつわりの表現だと思うのです。詩というものは、自分の心をいつわってはいけないのです。」
と、おっしゃるのです。
私は今になっても、この先生の評価は、何を意味するのか、よく分からないでいます。少なくともいちばん多くの文芸部員の心を打って、選ばれた詩、です。それで十分評価が得られているのではないでしょうか?
私は詩を作るのも、読むのも、今も大好きです。詩とは、読む人をいかに感動させられるかを意識して作るものではない、と信じています。作る人の魂の叫び、心のほとばしりを、言葉にしたのが、詩であって、だからこそ、読む人の心を惹きつけるのだと、信じています。
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最終更新日
2015年01月10日 22時49分10秒
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