|
カテゴリ:ビジネス・起業に関すること。
1980年、ある中国の青年が立志を胸に日本に入った。
学生から通訳を経て、会社勤めを経験。 数年前に独立して日本で起業。 今回、本国で支社と立派な自社工場を開設した。 そのオープニングセレモニーに業務関係者、友人をはじめ、 地元の市長を含めた政府関係者が列席。 日本からは大手会社の社長、役員も列席していた。 その彼と夕食をともにした。 その時にある話を聞いた… オープニングセレモニーの朝、6時に起きて 亡くなった両親の墓へ… 「不肖の息子でしたが、ここまですることができました」 涙を持って報告する。 涙が止まらない。 その後、セレモニー会場に向かう。 そこでは多くの整列する従業員とともに軍楽隊も待機。 祝砲の準備や赤いカーペットも敷き詰められ、 お祝いの品も所狭しと賑わいを見せている。 彼は多くの列席者一人一人に挨拶し、 予定の時間ともに特設ステージ壇上に上がる。 スピーチの際、彼は涙は見せなかった。 そして堂々と、そして感無量の表情でしゃべった… 「みなさまのお陰でこのたび素晴らしい 工場を作ることができました!」 両国の言葉に堪能な彼は、あえて日本語で挨拶を述べた。 通訳を介して。 そこには、「日本で」ここまでやり遂げましたと メッセージを送るかのように。 セレモニーの間、私は終始感動で胸が詰まる思いであった。 古い言葉かもしれないが、「故郷に錦を飾る」 ということはこのことではないかと。 それをまさにビジュアライズしているかのようである。 私もそうだが、他国で生きて行くということは、 単に異国に居を構えることではない。 どこでも人種的偏見がある。 時には「非差別人種」として、 自国にいればありえないことを経験する。 その中で信念を持ち、夢を持ち続けてることは 容易いことではないと考える。 その国や人に恨みを持つのは簡単である。 それは日本にいるアジア人だけでなく、 例えば欧米にいる日本人にしても同じ。 改めて私は、そういった苦汁を飲んできて初めて、 違った人たちに優しくなれるのかもしれないと思った。 彼の言葉の一言一句は他人事でなく私の言葉でもあるように聞こえる。 彼の会社の前途に祝福あれと切に思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ビジネス・起業に関すること。] カテゴリの最新記事
|